日本人は食事のはじめに「いただきます」、おしまいに「ごちそうさまでした」と口にだして言います。食べるということはその食材になってくれる命をいただくということだ、という意味で「いただきます」と命に感謝し、「ごちそう」(走り回って食材をあつめ、作ってくれたおいしい食べ物)と作ってくれた人に感謝するのです。
私の働く飲食店でみていると、この命へのごあいさつは、日本人なら年齢や性別にかかわらず、するようです。「古い礼儀」にうとくみえる今風な若者でも、料理を配膳すると同時に、私の目の前でおおきく両手を合わせて目をつむり、声は小さくても口はしっかり動かして、唱える人もいます。
可愛いのはちいさな子供です。幼稚園にも上がってないような4~5才の子供が、親に手を引かれて店をでるとき、「ごちそうさまでした~!」と元気に叫ぶ声には、思わず店員全員が笑顔になって「ありがとうございましたー!」と叫び返します(べつに、どのお客にも言ってますが)。さらに玄関をでる直前で「とってもおいしかった~!」と付け加えられると、いまどきの若い親御さんも立派なものだなあ、とふつうに感心します。
ところで、海外には、おなじ習慣はあるのでしょうか。命をいただくから、という趣旨での感謝は、ないように聞きます。「万物の霊長」という言葉にも表れている、日本人の人間観、宇宙観がこのごあいさつからわかると思います。この世の生きとし生けるものの頂点に、人間はたっている。自分以外の命をいただかずに生きていけない(ここに「人間の原罪」がある、と人気マンガ『おいしんぼ』の主人公が語る場面を印象深く覚えています)。だからそのどうにもできない「申し訳なさ」を、日本人は食べる前の「いただきます」という感謝の言葉に置き換えているのですね。
「いただきます」にはこれだけ深い意味があるのだから、日本のテレビ番組や映画が海外で放映されるときの翻訳のしかたは、もう少し工夫できないものでしょうか。台湾は私のもっとも好きな外国の1つですが、「開動了(カイドンラ)」と訳しているのを見かけます。現地の文化では、もしかしたら単に「食事をはじめます」よりも意味を含んだ言葉なのかもしれませんが、日本人の感覚からすれば、自分の動作の説明をしているだけに聞こえます。おそらく、欧米でも事情はそれほど変わらないのではないでしょうか。
「いただきます」には、世界に誇れる日本人の「いのちの宇宙観」が表れています。宇宙の「いのち」の循環のなかで人間は生かされているだけ、という謙虚な姿勢から生まれた礼節です。宇宙のよろこぶ「こころ」です。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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