洋服、アクセサリー、クツ、カバンなどのデザインを見て、日本人の若い女性がよく「かわいい」と評価します。ほかにもケーキやお菓子などの食べ物でもそうです。何を見ても「かわいい」を連発するのか、と感じるような場面にも出くわしたりします。この「かわいい」という評価基準も、前に書いた「生きものコスモロジー」が反映しているのだろうと、思います。
この世の生きものとそれ以外のもの、現象を見るときに、私たち日本人は、生きものを見る目で見ているのでしょう。モノにも命があり、感情があるという古来の考え方に通じますね。洋服にもクツにも、生きものの愛らしさ、柔らかさを見出して、それを「かわいい」という価値で表現するのではないでしょうか。
日本人が若い女性を(最近は男性をも)評価するときにも、「きれい」というよりも「かわいい」という言葉で評することの方が多いようです。ここにも、相手となる人間を外見だけでなく、内面でも評価して表現する日本人の価値観があらわれているように感じます。
30年ほど前のことですが、来日して数か月の中国人留学生3人が、この「かわいい(可愛い)」という日本語の定義について、さかんに議論している場に居あわせたことがあります。中国語にも「可愛(コーアイ)」という同じ漢字をつかう単語がありますが、これを日本語の「かわいい」に訳すことに違和感を覚えるいまの私と似たような感覚を、その3人も抱いていたようです。「かわいい」に日本人独特の、価値観がにじんでいて、そこを解き明かす討論だったように覚えています。
同じ漢字をつかっていても、中国語と日本語、それぞれの文化のなかでの「かわいい」の意味あいには違いがあるようです。中国には「かわいい」女性はあまりいないみたい、と観察した日本人の訪中留学生もいました。
日本での「かわいい」は、いまいったように生きもののもつ「愛らしさ」「やわらかさ」を肯定的に評価し、一方の中国ではそれを否定的にとらえる傾向がより強いように感じます。日本では「かわいい」は、「ぬくもりと生命力」を感じさせる前向きな言葉なのに対し、中国での「可愛」は、ときに「稚拙」で「弱い」「もろい」という印象も強めににじむように感じます。
その見方が妥当であれば、その違いを生じさせているのは、双方の国の精神文化であり、その根本原因は、やはりコスモロジー(宇宙観)だと思います。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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