いまの日本では、ドアという居住空間の仕切りがあたりまえになっています。その部屋に入るときにはドアをノックするという「マナー」も、それにくっついてあたりまえになっていますね。しかし、昔の日本では、空間の仕切りは引き戸がほとんどで、「ノック」という習慣もありませんでした。
居住空間の仕切りにみられるこの発想の違いも、「受けとる文化」か「発信する文化」かの違いに起因していると思います。
日本の住居は、周囲の自然環境からの「お知らせ」をいつでも受けとれるようにつくられています。和紙をはりつけた障子は外からの視線をさえぎりながらも、やわらかい日差しを部屋のなかにひろげてくれます。家のなかを外の環境から密封するつくりかたではなく、風通しがよく、したがって外の「気配」を感じとりやすい。自動車もバイクも大型機械をつかった道路工事もない時代に、外から聞こえてくるのは、自然界の鳥のさえずりとか風にそよぐ木々の葉っぱの音、そして人の歩く音くらいだったでしょう。
つまり昔の日本の住居は、一瞬、一瞬に移りかわってさまざまな「お知らせ」を届けてくれる大自然をつねに感じられる前提で設計されていました。昔の日本人にとって、住居とはそういう「場」であり、部屋にはいるときに「ノック」という人為的な音で、その自然との交歓を中断させるのは「無粋」だ、という感覚さえあったのではないでしょうか。
「ノック」ではなく、「気配」で、互いの来訪に気づくのが自然であり、「気」の流れをジャマしない、という価値観もにじんでいるのだと思います。
ノックで入室を知らせる文化は、ノックしなければ入室の意図が読みとれない文化です。「入りたい」という意図を、人為的に音を発生させることで伝え、なかの人間の環境に、人為的に割って入るということです。入られる側の都合を、優先してはいないやり方です。
ちなみに、幕末のペリー来航はまさに、この「ノック」だったといえるのではないでしょうか。
もう少し掘り下げて考えてみたいと思いますが、今日はこれくらいで。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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