レイキをするようになって、自分で自分の心と体の健康を維持増進する意識をもつようになりました。そのなかで心身の両面で改善が見られました。そのうち、ここでは「ヒザ痛」の改善についてです。
中学生のとき運動系の部活をはじめたころから、ヒザ痛がはじまりました。整体院や病院にかよって、水を抜いてもらい、出されたシップ薬を貼っていました。マッサージを受けた記憶もあります。高校で武道系の運動部にはいると、毎日正座をするので症状が悪化しました。
医者や整体師から、「靭帯(じんたい)が伸びている」「半月板が損傷している」と診断されました。「このあたり(近くの県3~4県ほど)で一番の名医」と評判の医者の診断では、「キミはいまはヒザが痛い程度で済んでるけど、大人になったら足を引きずるようになる」といわれました。
その後もいろんなスポーツに親しんで、30代前半のころ、たぶん精神的ストレスのせいで、ひどいヒザ痛が出ました。階段をのぼるのもひと苦労で、手で手すりに体重を分散させながら、やっと上り下する状態でした。整体院や病院をいくつか回り、シップ、温熱、電流など施されましたが効かず、ひどい痛みがおさまったのは最後のレーザー治療でした。その後はヒザに重圧をかけないよう心掛けながら暮らしてきましたが、なにかあると短期的に痛みを自覚しました。
その後、40代なかばでレイキを始めた後は、折りにふれてヒザにもレイキを流すよう心がけました。家でテレビを見ながらヒザに手を当てる、電車ですわるとき片手はヒザにおく、レイキの交流会で多人数から手当てしてもらえるときには、ヒザにもレイキを流してもらう…などなど。そうしたなかで気づいたことは自分の「宝物」にも思えました。以下はそのころのノートの一例です。
ーー当時のノート、ここからーー
ヒザに少し違和感があったので、ここ数日、自分で手を当てました。テレビを見ながら、映画を見ながら、電車のなかで、ベッドのなかで。そこで気づいたことを2つ。
(1)手を当てると、ジ~ンと、「安心感」がひざを包みこみます。例外なく。「しばらくそのままでいてくれ」と、ひざが頼んでくるような感じを覚えます。痛みがあるとき、私のヒザは、「抱きしめられたい気分」「さみしい気分」「殺伐とした気分」になっているんだな、と実感しました。
ひざに「人格」でもあるのか、といわれそうな表現ですが、本人の実感です。実際、個々の細胞レベルでも、臓器レベルでも、身体の部位レベルでも、それぞれに独立した「感情」がある、というのが最近の科学の認識らしいので、この表現はそれほどはずれていないようです。
そういえば、先日、あるレイキの練習会にいったら、ある中年の女性参加者が私に手を当てながら、「あなたの痛みの原因は、『悲しみ』じゃない?だって私、いまとっても悲しいもの」と感想を言ってくれました。当てている手をとおして、悲しい感情が伝わってきたそうです。
*現在の追記:このころ私はたしかに「悲しみ」を抱えていました。それがヒザにも宿っていてもおかしくないと当時の私も感じたから併記したのですが、それを感知したというこの女性の言葉には、「手から悲しみが伝わる?自意識過剰だよな」と、反射的に感じたのを覚えています。ただ、その後にレイキの実践経験をつむなかで、この女性は実際に「レイキ共感力」に優れた人だったのかもしれないと、いまではふつうに思えます。
(2)ひざに手を当てたのに、背中の張りがほやほや~とゆるんだのを感じました。ちょうど、お風呂の湯舟に身体をしずめて、「あ~、いいお湯だ」と身体と心がとろけたときの感じが背中に起きました。この身体感覚から、次の2つの気づきがありましたーー
①「ひざの痛みなのに、背中が緊張していたのかなあ」と気づきました。ある部位の不具合がほかの部位の痛みにつながっていることもあるってことだろうなと(自覚症状がなくても)。手当て健康法の先生の言葉やものの本に書いてあるように、やはり身体は(心も)全体性のなかに存在しているんだなあ、と実感できました。いまの自分の勝手な解釈かもしれないけど。
②自分のアファメーションの適切さも確かめられました。「〇〇(部位名)の痛みの根本原因がいやされました」なら、もれがない。ある部位の痛みのホントの原因は、自覚できないのだから。
ーー当時のノート、ここまでーー
このように実践と気づきを重ねるうちに、ヒザの痛み・違和感は各段に軽減しました。なくなったとハッキリ言いたいくらいです。
いまはクロスバイク(街乗り用のスポーツ自転車)が好きで数十キロ走りますが、ヒザが痛くなることはほぼありません。最初のころ、走りはじめにヒザに違和感がでて、自転車を止めて手当てしてシンボル、マントラをしたことはあります。が、そういうのは大体、前後を走る人の自転車と心のなかで競って「我(が)」でいっぱいになってた時がほとんどのようです。よせばいいのに、「オレの方が速いぞ!」とムキになるものだから、心とからだ全体のバランスがゆがんで、すぐ局部に違和感となって「お知らせ」が届いたのです。
そう気づいて、人と争う「我」の走り方をしなくなってからは、ヒザ痛はほぼゼロです。私がレイキと「お知らせ」の気づきを深めた背景のひとつですね。いまとなってはありがたい経験です。
以上、簡単にまとめとこうと思いつつ、ヒザ痛とは一番長い時間おつきあいしたのでつい長くなってしまいましたね。いずれにしても、ヒザならヒザという「部分」の症状は「全体」の歪みが現れたもので、その深い原因は我(が)という「心の冷え」にあるようです。
ですから、アチューンメントを受けて手からレイキが出るようになった、手を当てれば痛みがなくなるから安心だ、という心の姿勢にとどまるのではもったいないですね。なにもレイキができなくても、ふだんから心身の自己管理ができている立派な社会人、思いやりや人助けの心に満ちている「利他」の人なら「心の冷え」が少ないので、病気やケガを引き寄せにくい。その上でレイキの手当てができるなら鬼に金棒ということでしょう。
レイキは手当て健康法を入り口に、たましいの成長をめざす人間形成の道、といえるかもしれません。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
コメント