「日本人は日常生活で霊力に親しんでいる」

西洋レイキには多人数でできる「レイキサークル」というものがあります(伝統靈氣では「靈氣おくり」)。どういうものかというと、レイキヒーラーがおおぜいで輪になって、みな内側を向きます。全員が右手を下向きにして、となりの人の上向きにした左手のすこし上にかまえます。左手は上向きにして、となりの人の下向きにした右手のすこし下にかまえます。お互いの手の平から出るレイキエネルギーをはさんで、手の平の感覚を確認、みがく練習になります。

最初はたとえば10センチくらい離してみて、ボヨ~ン、ボヨ~ンとレイキの玉の弾力を楽しむみたいに手の平を上下させてみます。反発するような感覚などが、手の平に感じられます。はじめてやったときには、となりの女性が「手の平のあいだに太い柱があって、そのなかを自分の手が上下している感じ」 と言っていました。私には、磁石のS極とN極を近づけたときみたいな、やや反発するような感じ、あったかみ、ピリピリする感じがありました。

こうした修練法を教わった海外のレイキ受講生のなかに、こんなことを言った人がいるそうですーー「日本人は昔から、大勢で輪になって霊的な力を引きだすことを、日常生活で自然とやってきた民族なんですね」

たとえば昔の日本では、丸いちゃぶ台を中心に家族が輪になってみな内側を向いて食事をしました。レイキサークルになっていた訳です。となり同士でたがいに手をかざすことがなくても、目と呼気からレイキが出るので、輪の中心にあるちゃぶ台の食品にも、互いに顔を見合わす皆にも、レイキが流れたと解釈できます(ただしちゃぶ台が普及するまでは、たしか日本人は1つの食卓でなく各人ごとにてんでに食事したはずなので、レイキサークル式の食事の歴史は長くはないでしょうが)。

またたとえば、「かごめかごめ」はレイキサークル式ですね。これは歴史は比較的長いんじゃないでしょうか。ぐっと歴史は浅くなりますが、「ハンカチ落とし」なんかもそうですね。サークル式が霊力的にすばらしくて、輪を作って遊ぶとだんだん皆の気持ちが一緒になり、楽しさがどんどん盛りあがってくるのをわかっている文化だからこそ、生まれたように思えます。

外国でも、アフリカやアメリカ原住民(いわゆるインディアン)なら、輪を作って踊ってみたいな印象はありますね。欧米でも子供たちがこのような皆で輪を作る遊びをしていたのかと考えると、映画や小説などでは見た覚えはありませんが、あったんでしょうか?

精妙な「気」というものに対して、日本人が世界でもまれな鋭い感性を有している、ということは間違いないでしょう。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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