お念仏をするようになって、たぶんもう20年ちかくになります。この間、折りにふれていろんな工夫を自分なりにしてきましたが、そのなかの一つに「ながら念仏」があります。
なにか特別なことでもなく、読んで字のごとく、何か「しながら」のお念仏です。
きちんと正座して唱えはじめたけど、ちょっと寒いな、一枚羽織ろうと上着をとりにいく、暑くなってきたからと扇風機のスイッチを入れに立つ、などというとき、中断したくないので口にお念仏を唱えたままやる、というのが何度かかさなったのが、きっかけだったでしょうか。考えてみたら、最初からなにか用事をこなしながらお念仏となえてもいいじゃん、との発想です。
今朝もお念仏しようと思ったときに、もうショウガ紅茶のナベに火をつけた後で、どっちも中断したくないなと思ったときに、立ってナベをいじりながら自然と、お念仏を唱えていました。
「専門」にお念仏している人に聞いたことはありませんが、自分の経験上、これもありだと、思います。いってみれば一遍上人などは、「ナムアミダブツと一遍となえれば往生できる」と説いてまわったくらいですから、お念仏の本質はただ「唱える」こと。「ありがたい言葉」を、「自分で」、「口に出して」、そして私の見方でいえば「自分の体に響かせる」--これが一番大事なことだと思います。その他の形式や段取りは二の次でいい。
だから私は、あさ目覚めてふとんの上であお向けに寝たまま、お念仏することもあります。真夜中に暗いなか目が覚めてしまったときに、そのまま小さ目の声で唱えることもあります。だいたい、テレビやラジオをつけっぱなしとか、なにか書いているとか以外は、たいがいのことをしながらお念仏はできます。
それどころか、むしろ日常生活をふつうにこなしながら唱えるお念仏が、本当の姿だとさえ思います。これは開き直りではなく、気功のような手当て健康法のレイキを並行してやってきたなかで自然と気づいたことです。
「ながら」が一番すごい。これについては、別に書きたいと思います。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
今日も、ありがとうございます。
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