ヤケド寸前の熱さで、レイキに守られている自分に気づく

「ヒーラー自身が、つねにいやされた存在であれ」といいます。そのとおりだと解釈できる経験を、レイキとは畑違いの仕事でしたお話です。

そのころ私は、焼肉弁当の人気店で大量の肉を網焼きにする仕事をしていました。高温の油や肉のかけらが、トングを握る指先はもちろん、むき出しのヒジのあたりまではね飛んで、つねに点々とヤケドが絶えません。電熱器なので炭火ほどではないにしろ、焼き網の上で動かす両手自体があぶられている状態です。

手の熱さにはじきに慣れたのですが、それでも特別に熱く、ヤケド寸前に感じる日がありました。コンロの設定温度や肉の種類、量、焼き方は同じ。冷房の設定温度、頭上の冷気の吹き出し向き(一部がコンロ上に吹きかかる)も同じ。なのに手がおそろしく熱い。

あの尋常でない熱さは何だったんだ、なにかいつもと違ったっけ?と後でふり返るなかで、もしかして体調か?と気づきました。前の晩に深酒して、心身ともピリッとしないまま出勤していた(その晩はこりて、酒は飲まずに早めに寝た)。手が熱く感じたのは、体調のよくないあの日が特別だった。

レイキヒーラーは、手からつねにレイキが流れ出れる状態にあります。それがふだんは手を保護してくれていたのに、あの日は自分自身の体調を回復させる方へレイキが余分に吸いとられて、手にはいつもほど回らなかったのではないか?(ほかのヒーラーからは、少し違う解釈も可能なのかもしれませんが)。

裏をかえせば、レイキはふだんの暮らしのなかで、つねに私を守ってくれているんだな。そう気づいて、ありがたいことだな、すごい世界に入れて幸せだな、と感謝しました。

気づかせてくれた手の熱さに、ありがとう。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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