人間はもともと健康につくられている

免疫学の世界的な権威だった故・安保徹(あぼとおる)先生が、こんな言葉を残しています。

「私は長年の研究のなかで、『生命体は自分自身では失敗しない』ことをつよく実感しました。体は、より良い方向へと動くようにできています」

「神さまは人間を完全なものとしてお創りになった」みたいな話を聞きますが、それと同じことを言っているのだと思います。もともとが素晴らしいのだが、なにか問題があるとしたら、本来の姿になっていないからだ、ということでしょう。

日本文化をみわたすと、神道の「ケガレ」という考え方にも、同じような人間観が見て取れると思います。人間の魂はもともと素晴らしいもので、しかしそれが「気が枯れる」と「ケガレ」という良くない状態になる。そうなった場合には、人間が「気」を補充してあげればよい(これを「祓う⦅はらう⦆」という)ーーこれが日本古来の考え方のようです。

だから日本人にはもともと、好ましくないものやことの解決法は、「祓う」であって、「滅ぼす」ではなかった。「気を補充して本来のすばらしい姿にもどしてあげる」のであって、「除去する」でも「滅ぼす」でもなく、「殺す」でも「つぶす」でもありません。医学の世界ではとくに、日本人のやりかたは病気と対決するのではなく、「祓う」ほうだったのです。

もうずいぶんまえから耳にする「闘病」なんて言葉は、病を「つぶす」西洋医学の観点からできた言葉ではないでしょうか。

日本人の「祓う」思想は、この世のすべてのものやことに神さまがやどっている、「八百万の神」という考え方が原初の昔よりあるからですね。

病気があれば、それと対抗して対決して消滅するのではなく、気をあたえて「ケガレ」の状態から救い出せばよいという発想です。

一事が万事。こうした日本人の宇宙観は、日本の歴史にも表れているようです。なにか国難があったとき、日本人がとってきた解決法は「復古」だったといいます。元の状態に戻す、ということですね。もともとが素晴らしかったという自信があるからこその発想です。この自信を考えれば、日本文化はやさしく温かい文化でありながら、芯の強靭な文化ですね。

たとえば伊勢神宮の式年遷宮なども、こうした宇宙観から生まれた伝統でしょう。20年ごとにまとわりついたケガレを祓い、同時に職人さんたちの技術や心構えも「もとに戻す」作業を、大昔から連綿と続けて、「変わらないために、変える」をくり返しているのです。

いまある困難も、自分のこころを浄化することで「もとの素晴らしい状態」に戻り、強靭な解決法になると、信じます。

日本のこころって、素晴らしいですね。

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