日本人にとって富士山は、特別な存在です。日本人はそこに神さまを思うし、「日本のこころ」を思います。その秀麗な姿は、いつも日本人の心のなかにあります。日本人の民族性が富士山の姿に現れているとも思えるし、富士山を心に思っているから、気高い民族性を日本人が育んでこれたとも思います。日本文化の象徴ですね。それが日本列島の中央に位置することも、偶然と思えないほどです。
その富士山を、遠くの人も気軽に見たり登ったりできるよう、日本人の考えだしたのが、富士塚です。身近な場所に小さな山をつくって富士山に見立てる。それを拝み、登って、「富士山にのぼったのと同じご利益をいただける」場としたのです。都内にも5か所は残っていて、日本人の富士山好きと信仰心の篤さがしのばれます。
その一つを訪ねました。新宿駅西口をでて新宿警察の先に、成子坂という坂があります。そのわきの成子天神という神社のなかにあります。江戸時代に噴火したときの富士山の溶岩を運んできて、12メートルの高さに積み上げた山です。実際に登ってみて、「これは、人間と宇宙が一体だという日本人の洞察の産物だな」と、気づきました。要するに、ここにも「オレの宇宙」が顔を出しているのです。
富士塚という「装置」をかりて、「オレの宇宙」のなかにそびえる名峰に自分で登る。自分の体で疑似体験することで、自分が創っている宇宙に感謝と感動の波をひろげ、それによるありがたいお返しを「ヒフの内側」にいただく。そのお返しを、昔の日本人は「ご利益」と呼んだわけです。
もしも日本人の宇宙観が「ばらばらコスモロジー」なら、富士塚は生まれていないと思います。自分の思い、しゃべる言葉、行いが、実は「オレの宇宙」のありように密接に影響している、と昔の日本人の集合意識が見抜いていたからこそ、名峰の小さな「そっくりさん」が必要とされたのです。
単なる「遊びごころ」ではありません。科学的の裏付けもとれます。「天下の霊峰に登った」喜びの振動で、「オレの宇宙」を浄めるのです。自分の心のなかに宇宙の万物があると感じている、日本人ならではの発明です。
逆に、外国には、「エベレスト塚」とか、「モンブラン塚」とかいうものは、あるのでしょうか。聞いたことがありませんが、信仰の対象としての山か否かなど、いろいろリクツはあるのかもしれませんが。
日本人の暮らしには、このように宇宙と自分の関係への敏感な感性をうかがわせる「もの」「こと」があふれています。
そして、それらの生まれてきた根っこにあるのが、「つながりコスモロジー」です。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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