いまから150億年前、私たちの宇宙は「無」から「有」がひょっこり顔をだすようにして生まれました。それは莫大なエネルギーながら、極小の「ひとかたまり」でした。
注目すべきは、宇宙のはじまりが「ひとつ」だったという点です。誕生直後の大爆発「ビッグバン」から現在まで、いくら膨張をつづけて巨大になっても、「ひとつ」に変わりありません。
ちょうど一つの風船に息を吹きこみつづけても、1つはずっと1つのままなのと同じです。直径が2メートルになったから2つに数えるとか、100メートルになったから5つに数えるとかは、ありえませんね。
ただ、膨張するにしたがって「ひとつ」の内側が区分されていきました。無機物と有機物、動物と植物、メスとオス、などいろんな形に分かれたのです。しかし、これは一枚の紙のうえに線を引いたのと同じことです。何本の線を引こうが、一枚は一枚のままですね。
つまり、私たちの宇宙にはさまざまなモノや事象があふれていますが、その実、150億年まえに生まれた瞬間から現在にいたるまで、そのすべてはずっと「ひとつながり」だということです。
私もあなたも、彼、彼女も、太陽も、海も、イヌもネコも、サクラもひまわりも、セミもアメンボも、石ころも、富士山も、なにもかもです。
これは、仏教の「縁起(えんぎ)」という見方を裏づけるものです。すべてのものごとは「縁」によって立ちあがっている。人さまに配慮しない暮らしかたは結局、自分への被害となって返ってくるということです。
日本の昔話はこのことを、簡潔にわかりやすく説いてくれている「宇宙の教科書」なんですね。よい行いをすればよい結果が、良くない行いには良くない報いが、自分自身にかえってくるよとおしえてくれる、「宇宙の知恵」です。
となれば、「よくないもの」を自分から出さない生き方が肝心です。自己規律です。また「よいもの」を自分から出す生き方が大切です。礼儀作法です。
昔の日本人の暮らしかたは、この両方を重んじる、宇宙の道理にあったものです。つまりは「道」にそっています。
日本人がスゴイといいたいのではありません。「道にそった生き方」がすごいのです。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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