日本映画のヒーローの一人に、座頭市がいます。北野武監督・主演で映画化されましたが、その前は勝新太郎さんがながく演じ、海外でもひろく人気を博しました。その魅力のひとつは、盲目の市(いち=これが名前です)の居合の、目にもとまらぬ剣さばき。市が剣を抜くや否や、数人をバッタバッタと斬りたおし、サヤに収めたときには、もう誰も立っていません。
さて、市の強さの秘訣が剣を振り回す速さかといえば、そういうことではありません。カギは居合の達人、市の「意識」にあるようです。市が剣を抜く瞬間、その意識は、すでに相手全員を斬りたおしてサヤに収めている未来の時刻に立っています。つまり、刀をサヤから抜く瞬間に、すべては終わっている。市の意識のなかでは全員を斬った後なのです。居合とはこういうもののようです。現在でも、居合道の稽古をつうじてきたえるのは、剣のふりまわしかたではなくて、「意識」なのです。
「意識」を一瞬で「理想の未来」へ飛ばしてそこに立たせ、そこから現在をふりかえる。「現在」は、「理想の未来」へと最短時間で吸い寄せられるように理想を実現する。はっきりと意識された「結果」に立つことで、「原因」が最も円滑に引き寄せられ、理想が実現される。
実は、「理想の未来」にたって「現在」を引き寄せる願望実現法を、日本人はふるくから日常生活のなかでも実践してきました。日本の農耕儀礼には、こうした方法が高度に発達しているそうです。
たとえば、お花見にそういう面があります。これから田植えをしようという春に、秋の豊かな収穫を前もって祝ってしまう儀式です。満開の桜の下で、そのエネルギーの爆発に心身をさらして、おおぜいで酒食をともにして心身をゆるめ、「喜びの未来」にたって「現在」を振り返り、祝う。「現在」は、「豊作の未来」へむかって最も円滑に吸い寄せられる。これを企図した行事が、日本人の「お花見」です。これを「予祝(よしゅく)」(あらかじめ祝う)といいます。日本人は、細やかな感受性と大胆な実践で、宇宙の摂理にそうた生活を重ねてきたのですね。
*「理想の未来に意識を立たせて、現在をふりかえる」くだりは、内田樹さんの文章からご教示を いただきました。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
コメント