時間厳守は、「公平な世の中」への志

 日本は諸外国とくらべて、時間をよく守る社会です。「でも、時間を守らない日本人も知ってるよ」という話ではなくって、全体としてという話です。私自身、人との待ち合わせなどに完璧に、一度も遅れたことがないわけではありません。そんな人は、地球上に一人もいないでしょう。日本の電車が予定時間どおりに運行するのは世界的に有名なようですが、日本人もあまり気づいていないかもしれないことから、先に書きたいと思います。

 日本では、デパートや公共機関(市町村のお役所、住民センター、図書館など)は毎日、決められた時刻ぴったりに玄関が開かれ、一日の営業、使用がはじまります。その他の社会活動ぜんぶ、完璧に時間が厳守されているとはいいませんが、おそらく世界中でもいちばん時間をまもる国ではないでしょうか。

 住んでいる街のお役所で、平日アサ8時半。玄関先にできた5~6人の列にまじって開門を待ちます。係員が29分ころに玄関の内側にでてきて、腕時計を見つつ片づけをしながら待機。29分50秒をすぎると、じーと文字盤を見つめる。30分ジャスト、5秒のくるいもなく玄関が開かれて、私たちを迎え入れる。「おはようございます」のあいさつとともに。

 こんなふうに書くとおおげさなようだけど、日本では毎日あたり前にくりかえされていることです。私の街だけではない、例外はあるにしてもおそらく全国で見られる光景でしょう。日本独自かもしれませんね。外国人の目には奇異に映り、なんでそこまでする必要があるの?と聞かれそうです。日本人は潔癖症なんだろうとか、秩序を重んじるから、なんて声が聞こえそうです。

 しかし、私からみれば一番の理由は、「日本が公平な社会であってほしいとの合意があるから」だと思います。予定時間が守られないと、それを基準にして行動する人のすべてにソンやトクが生じて不公平になります。時間という基準がしっかり守られて揺るがなければ、すべては本人の責任になり、公平です。

 ついでにいえば、ちゃんと行列をつくって待つということも、日本では大事にされますね。これがあるから、開門時間を守るのも意味ができてくる。行列しないでみながダンゴ状でいたら、人より早めに来た人がソン、遅く来た人がトクすることもでてきて、不公平です。

 早めに来た人は早めに、遅くきた人は遅めに入場できることで、公平になります。遅くきた人はズルして割りこんだり行列を無視すれば、ごまかして早めに入れるかもしれませんが、その次に自分が早めにきたときにソンする側にまわるかもしれません。みんなが少しずつガマンして、「公平な場」を保とうという合意が、日本人の間には無意識のうちにでき上がっています。それはもしかしたら、千年以上もの間の、日本人全体の無意識の努力の結晶といえるのかもしれません。  

 さて、鉄道のことも、私の見方で書いておきます。 

日本では、電車は時刻表どおりに駅に着きます。1分遅れるだけでも、謝罪の構内放送、車内放送が流れます。大幅な遅れのときは、駅で「遅延証明」が発行されます。乗客が会社や学校に「自分のせいではなく電車が遅れたために、不本意ながら遅刻しました」という届け出をするためです。JRも私鉄も、みな発行します。それほど時間に正確な運行が、まもられています。これが日本の「当り前」です。

 この時間厳守も、日本人が神経質だからでも、強迫観念のゆえでもありません。公平な社会であろうという日本人全体の志(こころざし)が根っこにあって、それを目指す努力の結果が、電車の運行という面に現れているのだと思います。

 鉄道はいうまでもなく、一国の交通の要です。これが時間にいい加減なら、社会活動全般の「たが」がゆるみます。いまいった「遅延証明」が発行されるのも、日本人の感覚では当然です。鉄道の遅れが当たり前なら、計画が立てられない、だらしない国になってしまいます。そして、不公平な国になりかねません。お役所の開所時間とおなじですね。早くきてソンする人、遅くきたのにトクする人がでてくるからです。

 すべての人に平等に、という国としての志(こころざし)が、鉄道に現れているのです。ここにも、日本古来の「利他」の精神が反映しているのかもしれません。

 鉄道の本家である英国でさえ、日本をお手本にしていると聞きます。無理に時間を守ろうとしておきる脱線事故などは、もちろんあってはならないことですが、時間に正確な運行自体は、世界に誇れる日本の「公平や世の中への志」です。日本の鉄道は、永遠に、時間厳守をつらぬいてほしいと思います。

 宇宙のよろこぶ「人間の仕事」が、ここにあるからです。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

 

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