自分のおかれた環境にはいつでも、幸運が「かくれている」ものだと、心がけています。大事なのは、それに「気づく」ことです。そう思うようになったきっかけは、自分の人生経験です。
実はあのとき、あんなにも幸せなめぐりあわせにいたのに気づかなかったんだな、と強い後悔の念をこめて振りかえることがありました。ではいま、自分は何気なく暮らしているけれども、実はこの現状のなかにも、何か将来に振り返った時に、「幸運だったのに」と思えることがあるんじゃないか。それに自分が気づいていないだけじゃないか、と思うようになったのです。
とくに現状に不満があるとき、「待てよ」と自分のまわりを見わたし、「どれが幸運のタネかな?」と検索にかけます。この「かな?」が大事です(レイキの師匠に教わったとおりです)。なんだか知らないうちにこうなっちゃっただけ、という環境であっても、なにか幸運の可能性(タネ)はみつかります。
こういう実践をかさねるうちに、この宇宙は肯定的に創られている、というレイキだの精神世界だのの言葉が、真実味をもって感じられるようになりました。毎日の平凡さのなかに実は、私にとっての幸運がていねいに、大胆に、ち密に、織りこまれているのを「発見」することができます。
ときには自分をはるかに超える偉大な存在によって、守られているような幸福感さえ覚えます。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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