レイキを長年実践してきた本人が感じるレイキの効果を、思いつくまま列挙してみます(レイキ以外の要因との複合結果もあるでしょうが)。
〇迷ったりクヨクヨしたりが激減した
これはレイキをはじめる前の7~8割減にはなっている印象だ。プラス思考になったというのともすこし違う。相手や(選択した)商品などに対して、自分の(感じ方の)ほうを変えることができるようになったからだと気づいた。
レイキ前は、相手(人、モノ)がよくない、と思うから選択のあとで「あっちにしとけばよかったのに…」と思うことが少なくなかった。その後、その気分のまま使いつづけるから、クヨクヨするということになる。しかし今は、相手の人や商品のなかに自分の見えていなかった良さや魅力があって、つきあううちにそれにどんどん気づいて楽しめるようになるのがかなりわかっているから、選ぶ時点でもあまり迷わない。選択のあと、良くない点をみつけても、その気分をサバサバと処理できる。それどころか、見えなかった魅力や良さがそのうち出てくるぞとワクワクする(ことが多くなった)。
レイキの世界観というか、レイキ的な感受性というか、そういうものの1つに、「つながりのなかで受けとる」ということがあると思う。それが、私の気と心に少しずつだけど浸透してきたように思う。さらには、「受けとった状況に幸運がひそんでいるんだな」と思えることもでてきた。
また、「相手を変えることはできないが、自分を変えることはできる」という言葉も、いろんな人たちから聞く。ああ、この頃これ、少しはできるようになったなと感じる。そういうとき、レイキをはじめて良かったな、と思える。
〇肉体的なことをいえば、蚊に刺されにくくなった
これはレイキをやるようになってから時間がたって気づいたこと。笑われそうな話題だけど、レイキ仲間から意外と聞こえてくる「あるある」の1つといっていいかもしれない。
夏に、蚊に刺された跡をボリボリ手の爪でかきながら何かするということが、ながいことずっと印象にうすい。その始まりをたどると、たぶん最初のアチューンメントを受けたころだと思う。
かつては夏の夜にはだかのまま眠ってしまい、めざめたらふとんに接していない側の半身全体が皮膚病かと見まちがうほど刺されてボコボコにされたこともあった。一カ所刺されただけでも長い時間そこを指でかじっていた覚えがある。そういう記憶が、もうここ数年、たぶん10年以上、ほとんどないくらいといってもいい。
そもそもが、蚊に刺されるということ自体が減ったように感じる。去年の夏も、その前も、たとえば寝ている最中に耳元であの「ブ~~ン…」という不愉快な羽音で耳のあたりを手でぶつ、ということが激減した。さらにその前に、蚊をほとんど見かけなくなった。去年などは、ひと夏に家で目撃した蚊の数は、片手で数えられるんじゃなかろうか。
〇おなかがすいたときに、腹がグ~と鳴るということがなくなった。これはまったくなくなった。ふだんプチ断食(朝食ぬきで基本的に一日一食)をしているので、これはわかりやすい。体調が少しもやもやしてきたからと、まる2日なにも食わなくても、鳴らない。これはもう、絶無といっていい。この体質の始まりもおそらくレイキを始めたころで、そのほかに原因は思いつかない。
〇心のなかで人さまとつながりやすくなった(みたい)
電車のなかなど、人の多いところで目をつむって考えごとをしていて、ふと目をあけると乗客のひとりと目がバッチリ合って、相手があわてたようにさっと視線をそらす。なんだ、オレの顔をしばらく見てたな、と直感するような顔のそらしかたで。こういうことがたまに起こるようになった。
とくに仕事の忙しい時期に、「明日忘れずに彼にこう言おう…」「彼女にはこう説明すべきだったな…」など、心のなかで相手を想定して語りかけているときが多い。もちろん、こちらはひとり言でつぶやいてもいないし、顔にもだしていない。
このとき、その目線をはずした人は心のなかで、言葉ではないにしても私からなにかを受けとっているような感じを覚えたのかもしれない。「見えない世界」のつながりをとおして。それを無意識に感じとって、「なんだろう?」とポケ~と私の顔をながめていたら、急にこちらが目をあけて目線があってしまったので逃げるように視線をはずしたのではなかろうか。
本人の実感として、別にへんな自意識過剰とも思えない。こういうことが始まったのも、おそらくレイキを始めて以降だ。
〇自分の心の声が、他人の口から語られる
仕事中に、自分しか知らない言葉のつながりが心のなかでくりかえし浮かんでくると、仲間の口からその言葉が飛びだす。また、始めたばかりでコメント皆無だったブログに、自分だけのごく個人的な思いを書いた数日後、ある大きな集まりの席で、ほぼ初対面の参加者からその私の思いにこたえるかのような発言がでてくる。
本人の実感として、これも自意識過剰な思いこみや妄想ではない。レイキの実践をつうじて私と周囲との心のカベがうすくなって、ほかの人やモノと意識下でつながりやすくなったように感じる。
〇お酒の量が減った
お酒を飲む量が減って、またぶり返してをくり返しながらも、全体的にみると少なくなってきたようだ。深酒がつづく時期もあったけれど、まったく飲まなくなった時期もあった。
はじめのうち自分では、年くって人なみに酒量が減ったのかなと思っていたのだけれど、じきに気づいた。私の場合、飲もうと思えば20~30代のころより飲める。これは強がっているのではなくて、単に40代からはじめた「プチ断食」のせいだ。たくさん飲んでも、翌朝の二日酔いもからだの重さもほとんどない。
つまりはたくさん飲めるのに、総じて酒量が減った。これは、心の奥にこびりついていた重くて黒いものが、レイキ(の効果だけじゃなかろうけれど)によって溶かされて軽くなったからだろうと解釈している(長期間にわたったこの過程で、この浄化とひきかえにひどい胸痛の症状がでた)。
レイキをはじめたころ、酒の量が減るような効果があるといいと思ったけれども、自分なりに長いことやってきて、総合的には本当にそうなった。ある日、ぼけ~としていてふとこう気づいたとき、すなおにうれしかった。レイキにはじめましてとごあいさつしたころの淡い期待に、レイキがこたえてくれたみたいだ(まったく飲まなくなって、もう4年目になる)。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
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