飲む替わりに、生産する ーーソバーキュリアス

 アルコールを体に入れているのがフツーで当たり前。そういう風に生きてきました。しかし、ここ3か月ほど、あえてアルコールなしの暮らしを選んでいます。新聞で知ったのですが、欧米では「酒に酔う」はダサく、より積極的に「しらふ」をとるのがカッコイイという風潮が生まれてきているそうです。これを「ソバー」(しらふ)と「キュリアス」(興味を示す)からの造語で、「ソバーキュリアス」と呼びます。

 しかし、私の「ソバ活」は、なにも西洋かぶれがきっかけという訳ではありません。単純に、カネと時間がもったいないから。つねづね「やめられるものなら、やめた方がいいんだけどなあ」くらいにはもう何年も感じていたところです。それが、ある日、自然と実行できて、2~3日続けられたところで、新聞記事でこの「ソバーキュリアス」なる言葉と出会ったのです。私にとっては偶然とは思えない出会いで、すぐに読みこみ、ネットで補足情報も得ました。

 ニューヨークにはノンアルコール(ノンアル)飲料専門のバーが2軒あるとか、世界のノンアル市場は年々拡大の一途だとか、わかりました。日本にもすでに実践者がいて、無類の酒好きで知られた小説家で歌手の町田康(まちだこう)さんなどは自身の断酒経験を出版し、好評を博しているとも。
 
 ただしソバ活は、「断酒」「禁酒」とは別物といいます。もっと積極的に、飲まないでナニをやるかの方に重点がおかれているのかもしれません。

 では、私はといえば、ソバ活によって、時間をだんだん生産的に使えるようになりました。飲んでた頃は、ヒマがあるとすぐに酒に手が出ました。別にアルコール依存症ではなかったけれど(今夜はやめとこうと思えば、普通に飲まずにいられた、ただしやめとこうと思える日がたまにしかなかった)、落ちついて自分と向き合うのが怖いような感じだったんでしょうね。「間がもたない」という表現があたっているかもしれません。

 今は新聞を時間をかけて読みこむようになり、テレビも気になる番組以外はだらだら見なくなりました。そしてブログを始めたら、記事を書くために時間を使うようになりました。それも最初は時間をたれ流すように、ああでもない、こうでもない、と時間がかかって作文していましたが、やはり習うより慣れよの例えどおり、くりかえすうち次第に効率も上がってきたようです。

 また一方で、料理を食べながらノンアルビールをおいしく飲むうちに、これに加えてアルコールが必要か?と自問してみて、ふつうに「いらない」と思える自分を見つけました。これは意外でした。ガマンして意思の力で一生懸命にアルコールをぬいてゆく、と想像していたので、こんなに自然に「別にいらんな」と肩ひじはらずに気持ちが収まったのはおもしろい発見でした。自分はもともとビールのガツンとくるノドごしが好きなだけで、酔っぱらう方は実は欲しくもなかったのかもしれない、と思うこともあります。アルコールに酔って神経がマヒする、という副作用をビールの当たり前として受け入れるしかないと決めつけてしまっていただけかも、と思えました。

 それというのも、私の目をつけたノンアルビールが思いのほか美味だったからだと思います。甘味料も調味料も無添加です。原材料は、麦芽、ロースト麦芽、ホップ/炭酸のみで、なにしろ余分な味がしない。「アルコールはなくていいな」とふつうに思える、そういう味わいです。

 こうして、コロナ禍のさわぎの寸前に、この暮らしかたになったのは幸運でした。外出自粛で飲んでばかりいたら体に良くないのはもちろんですが、せっかくの休みをなんの生産もしないでムダ使いする方が悔しいことなので。いまはブログという「仕事」があります。これはありがたい。

 最後にひとこと。流行にのる訳ではないけれども、「ソバキュリアス」(に表される生き方)に出会ったから、自分の心が、わりとすっきりと「飲むかわりに生産する」方へと歩きはじめられました。この言葉に感謝しています。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
 

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