昔の日本では、普通のおじさん、おばさんが、ふだんの何気ない暮らしのくり返しのなかで、宇宙と響きあいながら暮らしていました。
朝、ご来光を拝んで柏手をうち(日本人ほど日昇をありがたがる民族はいないでしょう)、ご飯を食べる度に「いただきます(命をいただきます)」「ごちそうさまでした」と宇宙への感謝を口に出して唱える。なにかあるごとに仏壇のまえに正座して、ご先祖さまにご報告、相談またはグチを聞いてもらい、「ご先祖さまに申し訳ない」を自己規律のひとつとして自分と家族を律して生きていました。背筋を伸ばして、りんとして暮らしていました。
「ダレも見ていなくても、お天道さまがみている」と高い自己規律をこころにもち、「我(が)」をおさえる「辛抱」づよくて「がまん」づよい民族でした。成人式や入学式、卒業式など、「区切り」「別れ」をとおしてつねに新鮮な気持ちで新たな「場」に心身をおいて、自己と宇宙とをいつも輝かせるすべを知っていました。
「ハレ」と「ケ」を使い分けて、日常的に自分たちの「気」を管理できていて、落ちついていました。お店の「準備中」の表示や、玄関でクツを外にむけてそろえてぬぐ礼儀、「急がばまわれ」「ムシの知らせ」などの言葉にも、世の中に流れる精妙な「気」を敏感に感じ取っていた暮らしがしのばれます。
モノをいつくしむ心は「すべてのモノに命がやどる」という洞察と、「万物の霊長」たる人間の責任感とのあらわれであり、「モノに当たるのは人間として一番はずかしい」という優しい目でこの世を見ていました。
一方で、仕事となれば、自分の魂をそそぎこんで「一生懸命」に取り組みました。自分をも、扱うものをも、仕事そのものをも、「磨きあげる」ことに意識を集中します。「品質」をきわめて重視し、まじめに誠実に、ていねいに向き合います。そうした働き方が、宇宙のよろこぶありかた、宇宙の進化する「道」にそったものだと、深いところで知っていたからです。民族のDNAにしみこんでいました。
そうした仕事への追求心が、たかがラーメンへの「一杯入魂」や、ベースボールを「野球道」に変容させるもととなりました。剣道、柔道、相撲などの武道や、茶道、華道、香道などのたしなみはもちろん、落語、能、狂言などの芸事も、「道」をきわめる生き方の凝縮された世界です。
昔の日本人にとって、「生きる」ということは、宇宙と響きあうことでした。自分をこえる大いなる存在に、日常的に寄りそうことでした。それによって、「我(が)」を律し、自分を高めて、喜びを味わって、暮らしていました。
昔の日本人は、そうやって日々を暮らしていました。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございました。
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