信号が青にかわった。右を見ると、自転車もクルマもない。となりに立っていた2人の警備員は、長い横断歩道を先にわたり始めた。私も自転車にまたがって、なかほどに差しかかったとき、信号無視のタクシーが右から突っこんできた。「ぶつかった!」と思いきり身をこわばらせた瞬間、ガッシャーン!はね飛ばされながら、左脚を自転車の下敷きにならぬよう瞬時に引き抜いて、尻もちをついたーー。
10年以上まえの土曜日あさ、小雨のあがったある交差点でのことです。少しはなれて眺めている警備員2人に、尻もちをついたまま「いま、青だよね!」と聞くと、2人とも「青だよお!」と答えました。タクシー運転手は、自分のせいじゃないと開きなおる気かと疑うくらい、出てくるまでに時間がかかりました。
やがて警官がきて、5分後、救急車が到着。生まれて初めての交通事故、生まれて初めての救急車です。搬送される車内で血圧をはかり、既往歴、クスリ服用の有無、かかりつけの病院名、事故状況などを聞かれました。印象的だったのは、救急隊員の落ちついた物腰です。慌てた雰囲気が一切ありません。
そのおかげか、緊急事態なのに、やけに頭は冷静でした。自然と浮かんできた問いが、「この事故のメッセ―ジはなんだろう?」。こっちは100パーセント落ち度がない。この仕打ちはなに?と考えた。真っ先に思い当たったのは、前夜の落ち込んだ気分と甘えた言葉です。
新しく挑戦したことがうまくいかず、手短にいうと、「もう死んじゃったほうがマシか」と珍しく心のなかで絶望的な言葉を吐いた。この事故は、甘ったれたオレへの宇宙からの答えか。「死にたければ、いつでも死なせてあげるよ」というメッセージだ。
「人間は大宇宙に生かされているだけの存在だ」なんて、分かった気になりながら、くさった根性になりかけていた自分への、神さまからの手痛い教えなのかもしれない。
結局、頭も打ってなくて体の打撲だけで済み、1週間休んだのちに仕事には復帰できました。私にとっては、いろんなことを考えさせられた交通事故でした。
考えてみると、いつものように家をでて、いつものように途中の公園でおにぎりを食べようとしただけです。そのタイミングで、雨が降り始めた。意外に強くなったので、食事をやめて先を急ぎ、あの交差点にさしかかったときには、雨はやんでいたのです。
「やらずの雨」ならぬ「やらせの雨」でした。この雨の降るタイミングがすこしでもズレれば、事故はなかった。まるで私をあの交差点に、あのタイミングで差しむけるために降ったみたいな雨です。
しかし、考えてみれば、もともと世の中はすべて、そういうふうに回っている訳です。裏をかえせば、いままで一度も交通事故にあわなかった私の人生も、実は「やらせの雨」の連続だったのかもしれません。
私の人生のそこここで、宇宙が絶妙なタイミングで降らせてくれた「雨」にまもられて、これまで生かされてきただけなのかもしれないのです。そう考えたら、「神さまのご加護」って、本当にあるんだろうなあ、と真剣に思うようになりました。
神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございました。
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