「われ、日本の柱とならむ」                              

「われ、日本の柱とならむ」。これは、なかなか理想的ではないわが人生を自覚しつつも、折りにふれて思い出す言葉です。もとは10数年前の「3.11」東日本大震災の直後、東京のあるお寺の門前にかかげてあった言葉です。半紙に毛筆でかかれた大きな文字が胸に残っています。自分自身が日本を支えるのだ、という気概ですね。おだやかでありながら芯の強い、日本人らしい宇宙観からでてくる言葉だと思います。

日本古来の宇宙観のひとつは、「自分の経験する宇宙は自分がつくっている」というものだと思います。だから「われ(我)」こそが宇宙で最も尊い存在なんだよ、と教えてくれるのが、おシャカさまの言われたとされる「天上天下唯我独尊」という言葉ですよね。

日本人の生活様式、習慣、年中行事、ものごとの発想は、この宇宙観を根っことして生まれ、発展してきました。

たとえば、日本人は人を激励するとき、「がんばれ」と声をかけます。困ったり悩んだりしている本人にこの言葉を周囲からくり返すのが、外国人から「ヘンだ」とか「奇妙にみえる」などと評されるのを、テレビ番組などで見聞きします。最近では当の日本人からも、まわりが「がんばれ」というのは、かえって本人を追いつめるだけ、などという言葉が聞かれるようになりました。

しかし、日本古来の考え方では、その人の宇宙を変えられるのは本人だけ、だから周囲ができる一番の助けは周囲から「ガンバレ!」と叱咤激励すること、なのだと思います。もしも直接に手をだして助けてやったら、それは本質的な解決のジャマであり、本人の成長の機会を横取りすることになります。

たとえば学校の運動部の練習中に「ファイトー!」と大きな声をだす光景も、発想の根っこは同じだと思います。場に活気をあたえ、そのなかで選手各自がその人の宇宙の進化をめざして心身を鍛える。そのための声がけです。

わざわざ言葉にすると何だかおおげさなようですが、日本人ならこれに近い自分の経験をちょっと分析してみれば、こうした発想が日本人のふるまいに共通しているのに気づくのではないでしょうか。

いま日本は新型コロナ感染に見舞われ、そのほかにも「食糧危機」だの「安い日本」だの、さまざまな「不安要因」が報道されています。情報を吟味しながら、日本に住んでいる「われ」の問題として、「われ」が腹をくくるときです。

日本という国が苦境にある、それは結局は自分の問題だ、日本を救えるのは人さまではなく、自分自身だ。だから、「われ」がこの国の屋台骨(柱)になるのだという、冒頭の言葉です。

日本を支えるということは、世界を支えるということです。

世界を支えるということは、宇宙を支えるということです。

「われ、宇宙の柱とならむ」

逃げそうになる自分を自覚しつつ。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました