「アメリカ」もいずれ、八百万の神のひとつに             

 「お天道さま」は、いまの日本から「なくなった」のではありません。「見えない」だけです。「バラバラコスモロジー」という雲に一時的にさえぎられているが、「ない」のではない。雲のむこうには「ある」。民族のDNAには、いまだに刻印されている。そう考えます。

 ですから、江戸の風流人にとっての「雨月」(雨の日にも雲のむこうのお月さまを心で愛でたという)のように、雲のむこうにお天道さまをしっかりと見てしまえばよい。「お天道さま」を心の目でつかんだまま「アメリカ」を含んで超えるしなやかさを、日本人の魂はもっているはずです。

 それができたとき、「アメリカ」(を象徴とする「バラバラコスモロジー」)は、「八百万の神(やおよろずのかみ)」のひとつになっているでしょう。いまは明治維新から150年間つづいてきたその消化の途上だと考えます。

 たとえば日本独自の「歌謡曲」のように、西洋音楽をとりこんで、なお日本式に変えてしまえばいい。また「洋食」のように、西洋料理をとりこんで、なお日本式に変えてしまえばいい。宇宙観という人間にとって一番大切な分野でも、できるはずです。仏教という外来のバカでかい世界観でさえ、「八百万の神」のひとつにしてしまった実績を、私たち日本人はもっているのです。

 「アメリカ」(バラバラコスモロジー)に呑みこまれた民族は、世界じゅうにいくらでもあるでしょう。目につきやすいところでいえば、ハワイなどもそうでしょうか。しかし、日本がその例につらなる必然性はまったくありません。

 日本人には「気の文化」をしっかりと形にしてきた長くて深い伝統があります。なによりもそれは、庶民の日常生活レベルで実現されたことです。専門家がやったことではありません。庶民レベルで積みかさねられてきた「お天道さま」の精神文化は、日々の暮らしのなかに溶けこんできたものです。タタミの和室がフローリングの洋室になっても、頭寒足熱のコタツがホットカーペットになっても。

 私は、自分の民族のたましいが消えゆくのをはかなむ気はありません。「つながりコスモロジー」は、日本人の心のなかで、どっこい生きつづけるぞと言いたいのです。

 そのためには、自分の心のなかで「お天道さま」に意識を向けつづけることです。ここに踏み絵はありえません。冷酷な独裁者も、ズルイ政治屋も、恐ろしい厳罰も、心の「お天道さま」を打ち消すことはできません。

 「つながり」と「バラバラ」というふたつの宇宙観が接したとき、どちらに軍配が上がるかを決めるのは、「私」です。すべては「オレの宇宙」で起きることですからね(鈴木大拙は「私がビッグバンを目撃したのです」と言ったそうです)。

 「つながり」が宇宙の道に沿っているのに対し、「バラバラ」は反しています。「私」がお天道さまを見つめ続けるかぎり、紆余曲折はあっても、いまの「バラバラ」は退縮してゆくでしょう。人間の「幸せ」という観点からも、「つながり」を生きた方が結局はトクなのです。

 日本にいま、「バラバラ」が襲いかかっているとしても、日本人のDNAにはいまだ「つながり」が根っこを張っています。民族の魂のふるさとは「つながり」にあります。私の根っこも同じです。

 私とは「つながり」のなかを生かされているエネルギーだと、そこに意識を向けつづけることです。そして、人間関係でつながることだけが「つながり」人生とはかぎりません。自分をつねにエネルギー扱いして、モノや宇宙とつなげて感じることでも、「つながり」人生を生きられます。

 たとえば曹洞宗の開祖、道元は、永平寺という世間から隔絶した場所に体は一生こもっていたけれども、座禅を組むことで宇宙との「つながり」を深め続けた人ですね。「ヒフの内側」に限りなく沈んでいって、宇宙との一体化に近づき、宇宙の進化に寄与する生き方をした日本人です。

ほかにも多くのすぐれた先達を、私たち日本人はもっています。

「アメリカ」は、いずれ八百万の神のひとつに変容します。それこそ「歴史の必然」なのです。


 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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