「この世はエネルギーでできている」--三社祭にて

もう何年も前の5月、東京は浅草の三社祭り(さんじゃまつり)を見ました。コロナのはるか前のことで、それは盛大でした。

土曜日の午前10時ころ、浅草神社の本殿前におおぜい集まっています。祝詞(のりと)のような言葉がスピーカーから流れ、祭りの責任者らしき人たちの頭に、榊(さかき)らしい木の枝につけたお神酒(みき)がふりかけられます。神聖な雰囲気でした。

周囲には、戦後の浅草寺再建の写真などが掲示されていて、戦災で焼け落ちても、こんなにも多くの人たちの願いが集まった末に寺社の復興が実現したんだ、と感銘を受けました。ふだんからお寺や神社には興味のある私ですが、こうした歴史あるお寺さんにきて、このような経緯を知ると、ますます「信仰心」が深まります。

それと同時に、「この世はやはり、エネルギーでできているんだな」と実感します。
  
日本人は、自分と世界がモノでできてはいるけれども、もっと深くでは「思い」「愛」「祈り」…といったエネルギーでできていることを、心の底で悟っているのでしょう。だから、こんなにも長いあいだ、これだけの人々がこのお寺に関わって、これほど盛大なお祭りをずっと守り続けてきたのです。

分野が違っても、スポーツの世界でも、料理人の世界でも、この世の奥底にながれる大いなる力に気づくことがあります。同じだと思いますが、強くなりたい、うまくなりたい、と一生懸命に思って、動いて、動かして…をくり返すなかで、人間はらせんを描くように「上達」していきます。

上達をさらに追い求めると、意識がモノの世界から無意識の世界に沈んでいきます。「気の世界」「神の領域」といってもいい、広くて深く、大きくて重い世界です。意識はこの世界から、モノの世界を、程度の差こそあれ、支配できるようになります。

それはたとえば、本来の剣道が実現する世界にも見ることができると思います。私が高校生のころに見た8段以上の高段者の稽古では、竹刀はほとんど激しい動きをしません。双方の剣がゆらりゆらりと揺れあうなかで、片方がすーっと相手の方へ入りこんで…タンッ!と打突がされます。もとの間合いに戻って、またゆらりゆらり…のくり返しです。

初めて見たときは、何やってんだろう?と、まったく訳がわかりませんでした。日ごろ自分たちでもやっている稽古や、インターハイに出るような「強い」選手の激しい打突、体の動きを、これが剣道だと思っている感覚には、不思議な光景でした。

そこでは、「勝敗」を決するのが、スピードとか、タイミングとか、力強さとかではないんです。

「勝負」を決めるのはモノ(筋肉)のように見えて、実は意識だということが、高段者レベルの稽古になるとよりわかりやすい形になる、ということではないでしょうか。 本当は、モノよりエネルギーの世界で、世の中のことは決まっている、ということが表れているように思います。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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