「たなごころ」で握る日本人の魂ーーおにぎり

 日本人なら誰でも、「おにぎり」は子供のころから食べている身近な食べ物ですね。昔は学校で遠足や運動会など、給食のない日にお母さんが握ってくれるものでした。自分の家で手作り、が当たり前でした。

 ですから後に、コンビニやスーパーでおにぎりを売りはじめたとき、少なからず衝撃でした。「えっ、おにぎりまで買うの?自分んちで作らないで?」という驚きです。それが最近ではもう、みんな買うのが当たり前になったように見えます。

 花火大会やお花見、運動会などの客が、手作りでなくコンビニで買ったおにぎりを広げている光景には、悲しいとか寂しいとかいうより、最近では恐ろしさを感じます。そういう日本人に対してではなく、日本をそういう社会に変貌させてしまった「カネ」の力に対してです。

 さて、おにぎりは日本独特の食文化ですね。日本のアニメやマンガが世界で人気なので、そのなかに出てくるおにぎりが外国でも認知されてきているようですが、彼らの国には、おにぎりのような食品はありません。

 東南アジアでもインドでも、中国、韓国でもコメをつくってきたのに、おにぎりはありません。なかでも中国では、はやくも9千年前には、長江(黄河とならぶ大河)上流域で稲作が始まったのが確認されているそうですが、それほど長いコメ作りの歴史があるのに、おにぎりは誕生しませんでした。一番近くて「ちまき」のようなものでしょうか。
 
 そんななか、日本では、弥生時代中期の遺跡から炭化したコメの塊が出土し、「最古のおにぎり」と呼ばれました。おにぎりは日本にだけ誕生し、足かけ2000年もの間、日本人の暮らしのなかを生き抜いてきたのです。

 日本におにぎりが生まれた理由としては、山に対する日本人の信仰心が由来しているという説があるようです。三角で山の形に握るからですね。山は、すべての生命をはぐくむ太陽という巨大な火の玉を、毎朝吐きだし、夕方には体内に納めとる神です。また人間を生かしてくれる動物や植物、岩石、湧き水など、限りない恵みを与えてくれる神です。

神である山の形にコメを握って食す。そこには、山の偉大な霊力をいただく意味合いがあったのでしょう。

一方、コメの霊力に対する信仰心から、という説もあります。おにぎりは「おむすび」ともいいますが、「産霊」と書いて「むすび」と読みます。「万物を生みだす、霊妙な神」という意味です(コケが生えるのを「苔むす」といいますね)。一粒一粒に神さまが宿ると信じられてきたコメを握って、霊力のかたまりにしたのが「おむすび」です。

コメに神が宿るという信仰は、私も子供のときに、母親から教わりました。「ご飯(コメ)は、一粒一粒に神さまが宿っているのだから、最後の一粒まで残さず食べなさい」というのが、昔の日本ならどこの家庭でも、食事に関して親から子への当たり前のしつけでした。

それがどこから?といえば、古くは「天孫降臨」の神話に明らかでしょう。少しややこしい表記が続きますがーー

天上世界(高天原=たかまのはら)を統率する天照大神(アマテラスオオミカミ)が、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)という神に天の稲をさずけ、豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに=日本)に住む人たちの食べ物にするよう命じた。その瓊瓊杵尊が地上に降りたって、稲作を広めたーー

この神話が古来、日本の稲作の起源として語り継がれてきました。つまり、そもそも稲は天上世界の神聖な穀物であり、一番エライ神さまであるアマテラスが日本人にくれた、神聖な食物なのだ、というお話です。

 私には、これが「ただの神話」とは思えません。古代のアジア各地で稲作は行われたのに、日本人だけがコメの霊力を感得したからこそ、その霊力を両手の平におさまる塊に握って食すという「おにぎり」文化が、日本でだけ発達した、と考えます。日本という国の創成期に、コメに対するそうした日本人共通の感性のようなものが醸成されるなかで、稲作の起源の神話が次第にかたち作られていったと見るのが自然でしょう。

 だから、日本人はおにぎりを食べると、なにか気持ちが落ちつくというか、気力が充実するようなところがありますよね。たしか現役時代のイチロー選手も、試合の直前におにぎりを1~2コ食べると聞いた覚えがあります(カレーライスの方が知られてますが)。日本人にとってはおにぎりは、ただの食べ物ではありません。やはり特別な「たましいの食べ物」です。だからこそ、食の欧米化がこれほど進んでも、おにぎりが消えることはないどころか、海外にまで広まる勢いなのだと思います。

 現代日本人のなかでも、毎日ご商売で大量のおにぎりを握っている職人さんは、コメの霊力をもっと敏感に感じているようです。「おにぎり」を特集したテレビ番組で、専門店のご主人やおかみさんが異口同音に、「おにぎりは日本人の魂そのもの」と語っています(NHK『クールジャパン』)。

 日本では古来、手の平のことを「たなごころ」、つまり「手の心」と呼び、心が宿る場所と考えられてきました。その「たなごころ」でコメを握るということは、霊力のやどるコメの一粒ひとつぶを、心で「ひとまとまり」につなぐということです。

 だから、番組のなかでも、できあがったおにぎりは「おにぎりではなくて、心なんです」(ご主人)。「ご飯を活〆(いきじめ)にする」食べ方だ、という表現も出ました。コメの「いのち」をそのままいただける、という素直な実感から生まれた言葉なんでしょうね。

 いずれにしても、熟練の職人さんが「たましい」とか「こころ」とか、要するにモノではなく高い価値の「エネルギー」として、おにぎりを定義している点が注目されます。

 おかみさんが言います。「おにぎりにすると、お母さんの愛情のエキスが、おにぎりに入るんですね。それでおいしいんですね、おにぎりは」。ある大手コンビニは、「お母さんの握り方」を追求して、おにぎり作りの機械化にこぎつけたそうです。

  ※手元の辞典:『集英社 国語辞典』

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。 


 

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