「たまたま」の芸能界入り――無我ほどうまくいく

 日本では、芸能界いりのきっかけを聞かれたタレントがこう答えるのを、よく見聞きします。「友だちのオーデションに付き添いでいったら、私のほうが事務所の人に声をかけられて…」。あるいは、「姉が勝手に、私の履歴書を事務所に送っちゃって…」。…そしたら、「たまたま」合格しちゃったんです、とつづきます。

 ハイハイ、いつものアレね、という定番のセリフですね。最近はそれほどでもないようですが、30~40年前なら、こんな答えがふつうでした。その全部が作り話とはいいませんが、すべてが実話とも思えません。

 
 また、ある大ヒット曲について、印象的なサビの歌詞が生まれたいきさつを聞かれて、製作スタッフが答えます。「ふだんの会話でふつうに出てた言葉が、それでいいやって採用されただけ」。少し趣のちがう答えをしてくれたのが、志村けんさんです。「アイーン」など世間で流行るギャグを連発する秘訣を聞かれて、「いやオレ、流行らせようと思ってないもん」と、あっけらかんとしていました。

 こうしてみてみると、「うまくいくのは、人間の意図がはいらないとき」という芸能界の共通認識のようなものがみえてきます。「人為が入りこまないほど、ものごとは円滑に展開してくれる」ということを、生き馬の目を抜く芸能界を生き抜いてきたツワモノたちは、長年の経験からかぎとっているのだと思います。その認識が、タレントやスタッフの言葉づかいになって表れるということです。
 
 そして、そういう認識の基盤にあるのは、日本古来の宇宙観だと考えます。「人間の意図をなくすほど、ことはうまくいく」という洞察です。大事な局面では「無為」「無心」が人間の理想的な心理状態だという、日本社会の共通認識ですね。ずいぶんと欧米化された今でも、この考え方は主流ではないでしょうか。これは、「勝つと思うな、思えば負けよ」という歌詞にも、「急がばまわれ」「人事を尽くして天命をまつ」という言葉にもつうじることでしょう。

 最初はもちろん「意図」があって生みだしたものでも、最後は自分の手から放り出して、自然(気の流れ)にまかせた方がうまくいく。そのことを、日本人は知っているのです。「意図」を突き当たりまで詰め込んだものごとは、結局はやり損ねる。どれだけ周到に下準備しようが、こちらの思い入れや気合いが激しかろうが、逆にうまくいかない。そのことを、その道の達人ほど熟知しているのです。

 「昭和の大名人」とうたわれる落語の古今亭志ん生さんは、一生懸命の稽古をさんざん積み重ねた末に、いざ高座にかける直前には「ポーンって、全部おっぽっちゃう(捨てちゃう)」と、つねづね語っていたそうです。最後の最後まで一生懸命という「意図」を押しとおしたら、最高の高座に仕上がらないということです。

 似たようなことは、外国人であっても、例えばスポーツの一流選手にみられます。バスケットの神さま、マイケル・ジョーダンは、シュートの前にアゴの力をぬくあまり舌がベロンベロン躍っています。スローモーション画像ではっきりわかります。はじめて見たとき、得点してやるぞ!という強い気持ちからつい食いしばるアゴの力を、意識して抜いて体と心をリラックスさせているのがわかりました。一流選手が、「意図」をゆるめて「全部おっぽっちゃう」姿ですね。かつて陸上の金メダリストで一世を風靡したカール・ルイスも、100メートル走で同様にアゴをゆるめてベロがおどっています。野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で活躍した日本代表のヌートバー選手も、むづかしいフライを捕球する瞬間に舌がベロ~ンと躍り出ている画像が何枚も公開されています。

 洋の東西をとわず、一つの世界を極めた人は体で分かっているという話です。しかし、それがひろく一般庶民の感性になっているのが、日本文化のすごさです。

 宇宙をモノの集合体としか見られない人たちから見れば、どこまでも自己主張という「意図」をつらぬく姿勢が「強い」。逆に他者との衝突をさけるのは「弱い」姿勢らしい。しかし、「意図」を押しとおすと結局うまくいかないというぶんかの日本では、「オレが」「アタシが」という「我(が)」の強い人間や、やりかたは敬遠される。衝突をきらう。「負けるが勝ち」という言葉があるくらいです。「我」が強いほど実は価値がないことを、日本人はよくわきまえているのです。その場では目立ったり強そうに見えても結局はダメになる。つまり「弱い」。日本人が衝突をさけるのは気が弱いからではなく、我が強い人ほど実は「弱い」ことを知っています。そういう本当の「智恵」のかたまりが、日本文化なのです。

 つまり、この世で最強の姿勢は、「我」ではなく「無我」です。日本人には自明のことですが、「ばらばらコスモロジー」の人たちには、なかなか理解できない。

 だから同じ芸能界でも、欧米はじめ諸外国ではタレントの口から「友だちが勝手に…」は出てこないでしょう。むしろ「自分の意思」を「突き当たり」まで貫くコメントが多いのではないでしょうか。私は「こういう意図で」「こう願って」芸能界に入ったんです、と「ストレートに自己表現」できなければ、「キミ、自分の意思ってないの?」と低く評価されるのでしょう。

 意図が入らない方が結局はうまくいくというのは、レイキと同じです。レイキが外国でなく、日本でこそ発見された理由のひとつが、ここにもあります。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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