「ストレート」でなく、「まっすぐ」

プロ野球で勝負ダマを聞かれた投手が、「まっすぐです」と答えるのを、よく見ます。先発投手が初球の球種を聞かれて、「自信もって、最初からドカーンとぶつかります!」などと気概を表すようなときにも、聞かれる言葉ですね。

このときに「ストレート」でなしに、「まっすぐ」という日本語をつかうところに、いつも私は注目します。やるぞ!という闘志が自然に選ぶのが、「やまと言葉」だからです。外来語でもなく、「直球」という漢語でもないんですね。

この「まっすぐ」という言葉の選び方に、「心の真ん中」を感じます。ほかの質問には「モチベーション」だの「シチュエーション」だの英語でこたえるのに、ここ一番の質問には、「まっすぐ」になる。「自分のすべてで真っ向勝負!」という気合いに、この言葉の波長が一番なじむのを本能的に嗅ぎとるからだと思います。

言葉に「たましい」のこもる実感があるから、無意識のうちにこの言葉を選ぶのでしょう。
 
逆にいえば、外来語とくに英語をやたらと使いたがる風潮(これは戦後ずっと年々激しくなっているのではないでしょうか)は、危険なものをはらんでいると思います。自分の実感のこもりにくい、あるいはこもっても薄くて浅い外来語で相手になにか伝えようとしても、深い思いは伝わりにくいと思います。

実感や本気の宿らない言葉がうわっ面でとびかい、その下で笑ったり議論したりする社会には、「たましい」が欠けてゆくように感じます。長い目で見れば、ぜい弱な、浅はかな文化しか生めない社会になる危険性はないでしょうか。

日本人はもともと、言葉に敏感な民族です。言霊の精神文化をもつ国です。

同じしゃべくりでも、心のまん中でえらんだ言葉は、相手にその「心の深さ」まで通じます。言葉はただの「音」ではありません。そこには発した人間の「たましい」が宿ります。

 野球選手の言葉の選び方に、日本人の言葉の伝統と現状を、ちょっぴり考えさせられます。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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