「受けとる心」だから可能な、渋谷スクランブル交差点

 日本人は、「受けとる文化」を生きています。他者からの「お知らせ」を察知して、受ける側が責任もって対応する文化です。それがわかりやすく表れているのが、外国人観光客にも人気の渋谷のスクランブル交差点です。いまや外国の日本旅行ガイドブックにも載っている観光名所で、多くの外国人観光客が、写真や動画を撮影しています。

 信じられないほど多くの人が多方向からいっせいに交差点をわたるダイナミックさが目を引くのですが、外国人の目には、驚くポイントはそこだけではないようです。「日本人は、こんな人ごみなのに、お互いぶつからずにとても上手に歩くんだ」と、あるテレビ番組で外国人観光客が感心していました。

 それを可能にしている一番の原因はタイミングやバランスでなく、「受けとる心」だと理解できる外国人は、ほとんどいないでしょう。いや、たぶん日本人にも少ないと思います。そもそも多くの日本人は、ここでうまくすれ違える自分たちの凄さを、考えたこともないだろうと思います。

 あんなに大勢のなかを日本人がぶつからずにお互いに歩ける一番の理由は、日本人が受信者責任型の文化だからです。相手や周囲の人、モノ、自然からの「お知らせ」を敏感に受けとる精妙な神経をもち、自分で責任もって対応する意識をもつように、日本人は生まれたときから日常生活のなかでしつけられている。訓練をうけている。 

 日本人は日常生活で、周囲からの情報をつねに察知しようと無意識のうちにもアンテナをはりめぐらせています。正面から自分に向かってくる相手の体の動く方向や勢い、体のぶれなどの情報から、それに合わせて「自分が」どう動けば相手と気持ちよく交差点という空間で「ご一緒」できるかを一瞬、一瞬に計算し、微調整しながら、「お互いぶつからずにとても上手に歩く」を実現しているのです。

 相手とこころのパイプをつないで、相手を思いやる。相手の身になって感じるから、ぶつからない。「オレが」「アタシが」の社会にはできないことです。ことはバランスや運動神経の問題ではありません。人さまとどう向き合う社会か、という基本的なことです。みんながみんな、「オレを通させろ」「オマエがどけ」という発信者責任型の社会なら、みんなぶつかって歩けません。

といっても、日本人にとっては当たり前のことすぎて、なぜぶつからないのかと聞かれても、理由を応えられない人がほとんどだと思います。この交差点には、他人さまに対する日本人の日常の心の姿勢がでているだけです。人さまに対する日本人の基本的なこころの持ちようが、「ぶつからない」という結果になっているだけです。ですからこれは、合気道、柔道、剣道など日本発祥の武道でやしなわれる心性や体さばきにも通ずることです。

 そもそも日本の武道は、相手を屈服させる技術ではありません。相手と「対立」して「上にのっかる」優劣を競う道具ではない。たとえば合気道をならうと、相手に対し「ありがとうの気持ちで技をかける」よう何度も教わります。技は、相手の心と「協調」したごほうびとして決まるものであり、倒そうと「我(が)」が強く入ったら決まりません。相手を「倒す」ためのテクニックではないのです。

究極的には、柔道は相手の背中を床にくっつけて負かす競技ではなく、剣道も互いの頭を竹刀で叩きあう競技ではありません。お互いの心のパイプをつなげて心の真ん中をとりあうなかで、そこからはずれたら投げや打突で相手から知らせてもらう「心の練習」です。

これは日本語の「よろしくお願いします」とあいさつする心にも通じることでしょう。このあいさつは要するに、「心をあわせましょうね」という呼びかけです。相手の心の真ん中を「受けとって」責任もって対応しているから、ぶつからない。いってみれば、日本人はこの交差点ですれ違いながら、一瞬一瞬、合気道をやっているのです。

渋谷スクランブル交差点は、「いのちのくに」の縮図なのです。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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