「受信文化」は、やさしくて強い

「発信する文化」は、「お前が変われ」と人に迫る文化です。逆に言えば、人からもつねに「お前が変われ」と迫られる社会です。

 そこでは、強いヤツの都合、好みが、その他をつぶしていきます。つまりは「弱肉強食」です。「意図のエネルギー」は、攻撃的で、破壊的です。

 中国発祥の気功と似ています。気功では、施術者がつくる「意図されたエネルギー」を流すので、その量や強さは施術者任せになります。「送り手本位」です。ヒーリー(受け手=患者)ごとの症状の重さ、その日の体調には関係ありません。ですから施術者の流す気の量が多すぎたり強すぎたりして、ヒーリーに好ましくない影響がでることがある。また施術者自身も相当に熟練していないと、自分が消耗してしまうことになるといいます。双方ともに一定の危険性を負うことになるらしい。

 これに反して、「受信する文化」は「私が変わります」と、自分が責任を引き受ける文化です。そこでは、自分の力量に応じて、変わればいい。ですから、そこに流れるエネルギーは、やさしい。命を育み成長させる。つまり「共存共栄」の「愛のエネルギー」です。それは平和的であり、建設的です。

 これはレイキと似ています。レイキでは「自然界にあるエネルギー」を、ヒーリーが自分の都合に合わせて吸いとります。ヒーリーが責任を引き受けるのとおなじです。「受け手本位」です。だからヒーリーのその日、その時の体調によりそって、安全にエネルギーが流れてくれます。施術者もヒーリーも、リスクを負いません。

 発信する文化は、一見「強い」ように映ります。しかし、災害時やスポーツの試合で負けたときに自暴自棄となって人さまへの迷惑を考慮せずに暴れまわるところをみれば、外見と全く裏腹に、精神的には強くない面も多いのかもしれません。


 逆に、受信する文化はやわらかな外見とは裏腹に、実は「強い」。日本人が災害時にみせる強靭な精神力や、この国が生みだした数々の武道の激しさはいかがでしょうか。日本人は、外見はおだやかだが、内面はきわめて「強い」。要するに、「おとな」です。


 日本人の外柔内剛の性格は、「受信する文化」という基盤に育まれたものです。それは、宇宙のよろこぶ精神性です。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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