「未熟者の成長」を愛でるーー「十三夜」

 秋10月の、名月の話です。フロに置き忘れた湯呑を夜更けにとりにいったら、明けはなった浴室の窓ごしにお月さまの見事な光が目に差し込んできました。「そうだ、今夜は十三夜だっけ」。カレンダーにメモ書きしていたのを思い出しました。

 おだやかながら鮮烈な光です。昼間のお天道さまの激しい輝きが、夜のお月さまに反射することで柔らかなやさしさをまとい、すんだ空気のなかで私を照らしてくれます。

 旧暦8月15日の「中秋の名月」、いわゆる「十五夜」(この年は9月10日だった)はいまだによく知られた観月の行事ですが、旧暦9月13日にあたる今日の「十三夜」も、その昔はひろく祝われたそうです。中学生のころよく聞いた井上陽水さんの歌にも歌われていたのを覚えています。

 秋が深まって空気がより澄んで、月をよりきれいに鑑賞できる今の時期に、収穫への感謝の意味で行われたのだそうです。いまは稲刈りまっさかりで、クリやナシなど秋の果物や野菜もとれる実りの季節ですもんね。太陽の「陽」に対して月は「陰」ととらえられるので、月をおがむことは「おかげさま」に通じ、収穫に感謝するという意味合いをもったそうです。

 興味深いのは、「満月の2日前」だという点です。完成する直前を祝うというところに、「未熟者の成長」の価値を重視する、日本人独特の感性を感じます。日本のアイドル文化や「判官びいき」にも通じる価値観です。人気マンガ誌『ジャンプ』のテーマにだって通じるかな。いずれにしても、アメリカ人や中国人にはあり得ない発想でしょう。彼らならピッカピカの「完成品」でなければ受けつけないように思います。

 ちなみに、この1か月後の旧暦10月15日(この年は11月3日だった)も「十日夜」と書いて「とおかんや」と読む、やはりお月見の日になっています。ですから昔のお月見の習慣では、「中秋の名月」からひと月おきに3回、秋に楽しんだのですね。

 この3回とも夜空が晴れてお月見がうまくできたら縁起がいい、とされています。私は1回目と2回目は見事に晴れてお月見とお供え物ができたので、3回目の「とおかんや」も観月がかなうよう、期待しています(結局、これは見事に忘れて、後から思い出して悔しい思いをしました、笑)。

 このように日本古来の暦を気にするだけで、自然のめぐりと一体になった暮らしを体感できて、心が豊かになります。昔の日本人は、こうした精神性を当たり前にもっていたんでしょうね。おだやかでしかも芯の強い日本人の基本的な性格は、平凡ながら心豊かなこうした暮らしの循環のなかから自然と育まれてきたんだろうな、と実感できます。

それがどこからおかしくなってきたのか、といえば、はっきりと「明治維新」からです。今の私の関心事です。

 しかしまあ、陰暦の暮らしって、いいな。日本の心って、いいなあ。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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