「気づき」かさねて「一者臨在」実感へ

 「この世がひとつながりだ」という心の姿勢を心がけていると、宇宙(一者)からのメッセージは身近なところにあるものだ、という「気づき」がでてきます。そして、「気づくことが大切だ」と「気づく」ことが、増えていきます。

 毎日の暮らしのなかで、気づかなければ見すごしてしまうこと、「ありふれたこと」のなかに、自分がすこし意識をむければ「お知らせ」が姿をあらわす。もしかしたら、視力矯正のかくし絵みたいなことかもしれません。一見なんの意味もありそうにない模様だけど、じっと見ているとある映像が浮かび上がってくる。

 「これはこういうものだろ?」とやりすごすのと、「どんな意味があるのカナ?」とちょっと自分に問いかけるのとで、違ってきます。「ありがちな現象」から、意味が浮かびあがってくる。人さまの迷惑でさえなければ、どんどん自分で気づけばよろしい。かりに自意識過剰だって、問題ない。自分を深めるきっかけになります。

 たとえば職場で、一緒にはたらく同僚のやることが、なんだか癇(かん)にさわることがありました。わりと仲がいいのに、今日はその人のやることが、気持ちよくない。さっきから要らんことが多いな、このタイミングでウザイなーー。よくない見方へどんどん深まっていきそうになりました。

 しかし、すこし立ちどまって、自分のこの感情はなんだ?と自問してみると、答えが浮かんできました。私はそのとき別の仕事もやりはじめていて、どんどん仕事をおぼえて前へ前へ、という覇気が必要な時期でした。それが足りないから、ガツガツ動く同僚という「お知らせ」を受けたのではないかと、気づいたのです(自分の解釈でかまわないし、そもそも「正解」などないのです)。
 
 そして、さっきから目ざわりなコイツはオレのお手本を一生懸命示してくれていたんだ、と思えたときには、笑ってしまいました。

 言葉にすると白々しく、理屈っぽくなります。しかし、実践は宝です。自分で企図した試行錯誤は、裏切らない。「気づき」をかさねる暮らしでありたいと、あらためて思います。

 それを重ねるうちに、「一者臨在」(神がつねにそばにいてくれる)への自信が深まってゆくのだと思います。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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