「疲れない」決め手は、血液循環

 朝5時に出勤。一日の作業の準備を30分でして、5時半から13時まで焼き網の上でひたすら肉を焼く。この間、休憩なし。せいぜいトイレに2回いけるくらい。13時に遅番と交代して1時間の休憩をとった後、2時間働いて退勤。拘束9時間、実働8時間。これら作業はすべて立ちっぱなし。遅番が何かの事情で遅れるときは、交代時間が14時にずれこみ、朝から9時間、休憩なしの勤務となる…。

 以前に働いていた飲食店の繁忙期の、ふつうの勤務形態です。こんなことをずっと、くり返していました。しかしここでいいたのは、「こんなに過酷な職場だった」ということではありません。このときの私の「元気を保てる方法」です。

 こうした日に、私は13時からの1時間休憩で休憩室にはいかず、ずっと外でふかい呼吸をしながら「ウォーキング」を楽しんでいました。つまり拘束時間の9時間、立ちっぱなしの動きっぱなしです。水以外、食事は朝から終業までほぼ食べません。

 最初のころは休憩室で座ったりしていましたが、すぐにウォーキングに移行しました。なぜかというと、これが一番「元気を保てる過ごし方」だと、体でわかったからです。いまの職場でも完璧にこうしたやり方を続けているわけではありませんが、基本はいまだに同じです。

 現代日本人は、日常生活のなかで体をモノ扱いします。これは欧米はもちろん、ほとんど世界中の人間がそうでしょう。その身体感覚では、疲れをとりたいとき、体を「休める」ことが最優先という発想になります。「体を動かす」結果として疲れたから、それをなくすためには、「体を休める」という発想です。以前の私もそうでした。

 しかし実は、これが正反対なのです。理論でなく、実践による私なりの結論です。

 大事なのは、血液循環という一点です。お昼の休憩中も歩きまわることで、私の場合、それが円滑に実現できていたわけです。

つまり、「元気か、疲れているか」を決めるのは、「体を使うか、使わないか」ではない。血液循環がどれだけ円滑にできているか、という一点なのです。つまり、疲れたと感じるのは、血のめぐりがどこか滞っているからであり、体じたいが疲れているわけではない。歩くという方法で血液循環をととのえさえすれば、「疲れた」という現象はおこらないようです。歩く以外にも、たとえば泳ぐ、半身浴をする、も有効です。これも自分で実践した結論です。

こうした考え方が科学的にも裏付けられるみたいだと知ったのは、最近です。どこかの先生が、ラジオの健康コーナーで、「疲れの本質は自律神経の乱れです」と、明言してました(「筋肉の疲れ自体というのは、ホントはないんです」とも付け加えていたように覚えていますが)。

 ふだんから自律神経を整えていれば、「疲れる」という現象は、起こらないようです。もちろん一時的にむやみに激しい運動をすれば別かもしれませんが(これも自転車で上り坂を一気にのぼって自分で実験したとき、疲れはたまりませんでしたが)。

 科学者の理論を右から左へ紹介しているわけではありません。冒頭のように、自分で一定期間、実践したうえでの(少なくとも今のところの)結論です。

ですから、朝起きて「なんだか疲れているな」というときは、ホントは「もっと寝なければ」ではなく、外でも歩けばいい(なかなかそうは思えませんけどね)。そして半身浴でもいいし、水泳ができる環境があれば水泳でもいい、ということです。

 かつておつきあいのあった太極拳の先生が、「疲れるということは、ボクはないんですよ」と、普通に話してくれたのを思い出します。20年間をこえる太極拳実践者です。これも血液循環のおかげだと、私にはすぐ納得できました。

 歩くのは、実践しやすいですね。健康で安全にくらす方法は、わりと身近にあるんですね。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございました。

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