『心経』の奥底に無数の先達

 『般若心経』は、私たちの心を浄化してくれるありがたいお念仏です。心が袋小路に入ったかな?と感じたとき、だまされたと思って声にだして唱えてみると、わかります。心がすっきりします。そのことをある先生から教わって、自分でやってみて実感できたのは、もう10年以上まえのことです。

 『心経』は、よい言霊で満ちています。なかでも最後の「ギャーテー、ギャーテー、ハーラー、ギャーテー、ハラソー、ギャーテー、ボージー、ソワカ」の一節は、「困難をのりこえてゆけ」という力強い言葉です。自宅で『心経』をとなえるとき、私はとくにこの一節が好きで、その直前の「そくせつしゅわつ」のあと、しっかり息を吸ってから、ここをひといきに唱えます。これが『心経』のハイライトなので、勢いよく唱え切って、日々の障害のようなものを無事にのりこえていきたいからです。

 なにかあったとき、この部分だけを小さく唱えることもあります。東京・中野区の天徳院というお寺の住職で、筑波大学教授でもあった大藪正哉先生からは、「この一節だけをくり返し唱えてもいいくらいです」と、教わりました。

 『心経』といえば、なにしろ私の子供時代に大好きだった孫悟空の物語にでてくる実在の僧侶、三蔵法師もとなえたお念仏です。彼は実際に『心経』をとなえながら、いまの中国西域の砂漠地帯などの難所をこえたらしい(その旅が『西遊記』のモチーフなのは、周知の事実です)。中国の僧侶がはるばるインドまで徒歩で往復して仏教文化を自国にもってくるという、歴史的な大仕事をささえた力強い言霊なのです。

 今朝、その三蔵法師の旅をイメージしながら最後の「ギャーテー」のくだりを唱えていて、新しい気づきがありました。この一節の言霊自体もすばらしいが、実は、それを唱えつづけた先人たちの実体験こそが、この一節に力を与えていて、私がそれを同じように唱えることで、その力をいただけるという理解の順番のほうが、正確なのではないか、ということです。

 この一節を唱えて困難をこえた何千人、何万人という先輩たちの「心の実践」こそが、この言葉に言霊となってのり移っているのだろう、ということです。

 心身ともに疲れている朝だったからこその気づきだったと、思います。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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