イチローの「走るバレリーナ」は、「日本のこころ」の表れ

 現役のころのイチロー選手は、その走塁姿を同僚選手から「走るバレリーナ」と評されていました。走塁だけでなく、外野手での捕球もバッティングも、彼の身のこなし全般がいつでも柔らかく、のびやかで美しい。「レーザービーム」で狂暴に走者を刺すときでさえ、体の流れは優雅で気品を感じさせます。しかもアウトに仕留めても、勝ち誇りもせず、表情もくずさない。つねに冷静です。

大リーグのオールスター戦で、史上初のランニングホームランを打ったときの走塁でも同じでした。体の線が、やわらかいのに芯の強さを感じさせる。こうした基本的なしなやかさは、彼のこころから生まれるもののように思います。「日本のこころ」です。「我をおさえる」とか、「思いやり」とか「気くばり目くばり」。日本人が伝統的に理想としてきた精神性ですね。

 こころに「我(が)」が強いと、姿かたちにあらわれます。失礼ながら、特に欧米人選手に体のかたい選手、クセの強いフォームの選手が多いように見えるのは、欧米人のいわゆる「個人主義」が多分に投影されているように感じます。

 イチローさんだけでなく、例えばフィギュアスケートの浅田真央さんも、現役のころは「信じられない体の柔らかさ」と、外国人コーチが驚嘆するといわれました。そう思って競技をみると、外国人選手の体は硬くて、すっきりと伸び伸びした動きに見える人が多くない。また体操での日本人選手の演技のしなやかさ。これも欧米人選手に力づくの演技が多いなかで、際立っています。

 オレが、アタシが、と個人の自己主張でまわる社会で生まれ育った人たちは、その「我」が、自然と身のこなしに出ます。人より美しく見せて高得点となるフィギュアや体操でさえ、如実に出るのです。速く走れさえすればいい野球の走塁なら、その選手の心性は、なおさら身のこなしに表れます。

 宇宙のもっとも大切なもの(道)に自分をゆだねて生きる、つまり「我」を捨てる(できるだけ削る)ことが、人間にとって大切な生き方だーー昔の日本人はそれを知っていた。それが美しさの差になって表れてしまう。そういうことだと思います。

 これは、文化の「違い」ではありません。宇宙の進化発展の方向が明らかに決まっている以上、つまりは宇宙に「道」がある以上、「優劣」のつく問題です。どちらの生き方が、人間として、宇宙の期待にそったものでしょうか。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。
 

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