レイキは人のためならず

レイキスクールで初めてレイキを習い始めたとき、「レイキって、『情けは人のためならず』と同じなんだな」と、すぐ思いました。

私が人さまに手を当てると、レイキは私の体をつうじて、その人の必要とする分だけ、吸いとられます。

私の心と体にもレイキが流れてくれるので、人さまにレイキをさせてもらうと、自分にもレイキが流れて自分もいやされるのです。

スクールの受講生同士での施術でも、それはわかりましたが、自分で毎週1回の施術会をやるようになったとき、ますます実感できました。

日中の仕事をフルタイムでこなしてから、自転車で30分ほど走って、夕方の施術会に向かいます。ときには疲れていることもあって、会場に着いたら5分でもいいから寝ころんで休もう(会場は畳の和室だったので)、と思うのですが、会場に着くと、週1回のレイキを楽しみにしてくれている人々が集まってくれています。いつも休憩なしに、重い体のまま手当てを始めました。

ところが、いつも途中で気づくのです。「あれ?そういえば、さっきまでの体のヘタ~とした感じ、なくなってるなあ」と。たぶん30分間も人にレイキを流すうちに、自分がいやされているのです。受け手の人がかわるタイミングで自分の体をあちこち動かしてみて、すぐわかります。明らかにさっきまでのあれほど重苦しい感じがなくなって、スッキリしている。

「うわ~、レイキってやっぱりすごいな」と驚く。感動する。これが毎度のことで、例外はありません。こうした実践にともなう発見のおかげで、私のレイキ生活は続いてきました。

というより、そういう実感がなければ、飽きっぽい私の性格からして、とっくにレイキはやめていたと思います。だれでも自分でレイキを実践してみれば、こうしたレイキの素晴らしさを、自分の体で実感できます。

まさに、「情けは人のためならず、めぐりめぐって、我が身を助く」ですね。

利他心の「実践」に対して、宇宙が恩恵を施してくれる、というふうに私は解釈しています。

もしかしたら、「(人さまに)情けをかける」という心の状態になったとき、すでにレイキはいくらか流れ始めているのかもしれません。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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