おっぱいを一瞬で「いのち」と見る、こころの眼

 その昔、といってもたった50年前の話です。

 そのころの日本の駅や病院の待合室でふつうにみられた光景の一つに、若い母親が人目も気にせずにおっぱい丸出しで赤ちゃんに授乳する姿がありました。人がぎっしり詰まった「公衆の面前」で、乳首まで露わにして、おっぱいをわが子の口にふくませるのです。

 私は幼稚園から小学校をとおして隣町の病院にときどき電車で通っていて、待合室でしょっちゅう見ました。山のガキんちょだった私には、わざわざバスと電車を乗り継いで大き目の街まで行くのは、大勢の知らない大人たちの前にでる、やや緊張する経験です。そのなかで見聞きしたことは、印象深く覚えています。

 そんなこともあったなあと、なにかあれば思い出すくらいでしたが、いま、自分の国・日本の精神文化に意識を向けるにつれて、気づいたのです。あれは実は、衝撃的な光景だったと。

 そこには当然、思春期の青年から50代のおじさんまで、いわば「男ざかり」の男性たちも大勢いあわせます。しかし性の対象としてエロい目ですぐそばの乳房を見る人はいない。その雰囲気は、子供心にもわかります。「お母さんって、こういうものだ」として、日本の子供の世間像の一つに加わっていっただけです。

 「わが子におっぱいを飲ませる母親の姿こそ最も貴い」と、どこかの寺の和尚さんの言葉をもち出して、となりの人に目を細めて話していたおじいさんのことも、覚えています。  

 まだ20代前半の若い女性が、母親になったからとはいえ、見知らぬ男たちの視線も気にならなかった。我が子に母乳という「いのち」をあたえるためには乳房をさらすことも自然で、当たり前だったのは、当時の日本人がみな、こうした授乳の姿に「いのちの循環」を見ていたからだと思います。いってみれば、そのときの乳房は肉体というモノではあるけれど、それよりも「いのち」というエネルギーとして、みんなが見た。

同じおっぱいでも、赤ちゃんに母体が乳をあたえて生かす、成長を促すという場面では、日本人の目は、一瞬にしてモノ(性の対象)でなく「いのち」として見ることができた。目の前の存在を一瞬でモノからエネルギーに変えて見れる。そういう「いのちの心眼」を、かつて日本人はふつうに持っていた。そういう民族だったのです、私たち日本人は、ほんの50年前まで。

 これはつまり、江戸時代に混浴が可能だった理由と、根っこは同じだと思います。また江戸時代末期まではまだ行水のときの裸を女性が恥ずかしがらなかったらしい理由とも、実は同じことかもしれません。入浴も行水も、ともに「みそぎ」につうじる信仰にちかい行いであって、「恥ずかしいのをガマンしていたのだろう」というとらえ方は、その「心眼」の衰えた日本人、というよりモノをモノとしてしか見れない(ことが日本より多い)欧米の精神文化に犯された現代日本人の勘違いというものでしょう。

 昔の公共の場での若い母親の授乳は、そんな低い次元の話ではなく、むしろ当時の日本人が「モノを一瞬でエネルギーに変える心」を有していたという、宇宙的に価値ある、高度な達成の話ではないでしょうか。

 大げさにいってしまえば、日本人は錬金術師(アルケミスト)みたいな心をもっていたといえるのかもしれません。モノをモノ扱いでなく、エネルギー扱いすることができた。これは、人間の心のかなり高度な到達点なのではないか。宇宙150億年の歴史の粋といっても、差しつかえないのではないかと思います。

 たった50年前まで、日本ではいなかのなんの変哲もないフツーの人たちが、フツーにやっていたことです。これが日本人の「くらし」というものでした。これが森羅万象を見る日本人の「こころ」でした。いまとなっては、その残影が一部の日本人のまぶたの奥に横たわっているのみです。すでに「逝きし世」となってしまったのでしょうか。

 おっぱい露出しての授乳姿が消えた境目は、私の周囲ではおそらく1970年ころだという印象です。高度経済成長がはじまって10年後ですね。「弱肉強食」が「いのち」を殺した姿だと、私は見ます。モノはモノでしかないという「ばらばらコスモロジー」が、モノの本質は「いのち」だという「つながりコスモロジー」を犯したのです。

 大昔からその動きはあったのかもしれませんが、一気に進んだのは明治維新であり、その後の敗戦(第二次世界大戦)でしょう。

 「いのちを見る」という宇宙的にすぐれた「こころ」を、日本人はたった50年前まで有していた。それが、滅ぼされたのです。

そしてもっと残虐なことには、当の日本人にその自覚がない。

スマホの小さな画面に意識を奪われ、頭のなか「お花畑」のまま、「いのち」殺しが今日も進行しています。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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