初の地球平和へ? 日本語を世界共通語に

 人間は、言葉で宇宙を認識する生きものです。だから、言語は宇宙観そのものです。宇宙は自身の「自己認識器官」として人間を創りだし、その認識の道具のひとつとして「言語」を人間にあたえてくれました。

 そして、「日本語」で宇宙を認識する人間は、「受信者責任型」の人間になる訓練を毎日しているようなものです。それは、宇宙エネルギーと最も親和性の高い暮し方であり、日々の生活が、そのまま宇宙進化に寄与しているのだと思います。

 日本語は、「受信者責任型」文化の粋(すい)なのです。

 日本語を母語とする人なら、生まれ育ちがたとえ外国であっても、「受信者責任型」の人間性を獲得しやすくなります。「外柔内剛」の気質ですね。これは民族的に日本人か否かはそれほど関係しないかもしれません。ただ、親が日本人であれば、第一言語が日本語となる可能性は高いでしょう。

 逆に、英語や中国語を母語とする人なら、生まれ育ちがたとえ日本であっても、「発信者責任型」の人間性を獲得しやすくなります。自己主張の強い気質ですね。これも、民族的に日本人か否かはそれほど関係しないかもしれません。ただ、親が外国人であれば、第一言語が英語、中国語となる可能性が高いということでしょう。

 日本語は平和をつくる言語です。相手を尊重し、「我(が)」をとおすよりも相手の宇宙を尊重するからです。日本語が世界共通語であれば、世界に平和をつくります。一方、英語は戦争をつくる言葉です。いま英語が世界共通語であることと、世界平和がなかなか実現できない現状とは無縁でありえません。人類の世界的な価値観が、英語という攻撃的な言語の発想でさだまるからです。


 英語が共通語になっている惑星は、「発信者責任型」の文化に染められています。それは「弱肉強食」の世界です。そうではなく、これを「愛と分ちあい」の世界に変えるには、「受信者責任型」に染めることです。日本語が世界共通語になれば、それが可能です。人類の「ものの見方、考え方」が、「いのちの宇宙観」に立ったものになります。

 こんな話をすれば、いまの世界の「主流」からは「アホな妄想」と嘲笑されるでしょう。しかしその笑いは、宇宙から見て実は「主流」にふさわしくない言語が、それを直言されてあげている悲鳴なのかもしれません。

 宇宙の歴史を素直にみるかぎり、宇宙が今後のぞむ共通語は「受信者責任型」の言語、つまり日本語です。くり返しになりますが、日本語が平和をひらく言語だからです。

 注目すべき事実があります。いま日本に移住してきた、あるいは留学・就労にきた外国人たちから、日本に住んで日本語を話すようになって自身におきた変化として、「冷静な性格になった」「やさしくなった」などの声が自然と上がっています。
 
 日本語が世界共通語になれば、この化学反応が、地球規模でおきます。人間の「モノの見方、考え方」が変われば(もちろん良い方へ)、国同士のつきあいかた、問題の解決法も変わります(もちろんよい方へ)。相手を尊重して人さまに迷惑をかけない、自己規律をもって冷静な、やさしくも強い人類になります。これが本質的な「進化」のはずです。科学技術という「ヒフの外側」をどれだけ発達させても、宇宙の望む進化にはなりません。

 日本語の価値は、「世界のかたすみで話される特異な言語」にとどまりません。それは宇宙150億年の進化の傑作です。それを無意識のうちに実感しはじめた「外国人」たちの口をかりて、宇宙が日本語話者への期待を語りはじめたのではないでしょうか。

 ところで、日本語が世界共通語となる未来を想像するにあたり、昔のアジアで日本がやった戦争の歴史を避けて通れません。より正確な情報から、きちんとした認識をもちたいものです。そのうえで、日本語は宇宙のよろこぶ役割を、世界じゅうで果たしてくれるでしょう。


 もう一つ。人の悲しみや命とひきかえに利益をせしめてきた人たちにとっては、共通語は日本語でなく、従来のままがいいのでしょう。彼らは、地球がいつまでも「弱肉強食」の惑星でありつづけるよう望んでいます。「この世はうばい合いだ」と誰もが信じこむよう願っています。そこに、「おいしい世界」が生まれるからです。

裏をかえせば、日本語が世界共通語になったとき、「主流」は交代して、「いのちの文明」が地球をおおっているのです。

世界じゅうの人たちが日本語をしゃべるようになったとき、地球に平和という名の、サクラのような花が開いているでしょう。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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