電車のりおりのマナー

 日本人は、お互いに少しずつ「人さま」に気をつかい、少しずつ我慢し、少しずつゆずり合います。そのことで社会が気持ちよく回っています。日本人からすれば当たり前のことなので、このようにあえて言葉にすると「そうかな~」という感じですが、外国人の言動を見聞きすると気づきます。 

 たとえば、「日本人は小さいことを気にしすぎる」と、ある若い外国人女性がテレビで不満げに言っていました。実は、この「小さいこと」をお互いに気にする気持ちがあってはじめて、1億人をこえる日本社会が円滑にまわっています。個々人のほんのちょっとした気づかいの欠如が大きく積みあがって、個々の構成員にのしかかってくる、ということが少ない。

 日本の駅の乗車風景には、それが象徴的にあらわれています。われ先に乗り込もうという人がほとんどいない。みんなが自分より全体を優先します。乗る人はきちんと待って、降りる人が優先で降りてから、はじめて乗り込む。だから海外と比較にならないほど円滑に、乗り降りが実現しています。日本人にとっては、これが「当たり前」です。

 日本人にとっては、電車もまた「生きもの」であり、「いのち」なのです。全体の調和を自分が乱したら、その「生きもの」が死んでしまいます。自分も死にます。もちろん比喩ですが、日本人のこころの深いところにはこういう感覚があると思います。

 しかし海外では全く違うということを40年前、あるアジアの国ではじめて体験したときは、衝撃でした。みんな自分が最優先なので、全体の乗り降りがまったくマヒしてしまう。別にむずかしい話でもありません。「小さいこと」を「がまん」できない個人の集まりだから、「我」のかたまりがみんなにのしかかる。結果、自分も乗りこめない。しかし、これを毎日くり返す。その後、欧州でも「われ先」は同じだと欧州出身の外国人の話から知りました。それが本当なら、「日本は世界有数のマナー大国」という、外国人が日本人に披露するお約束のほめ言葉も、彼らのいう通りなんですね。

 さて、日本人のあの整然とした乗り降りの光景を実現しているのは、「法律」でも「罰則」でもありません。気づかい、我慢、ゆずり合いという日本人の自己規律であり、自分より全体の和を思う心です。外から強制されてやるのではなく、一人一人の「人間としての自覚」、つまり内側からの自発的な行動です。そして、その自己規律を可能にしているのは、「つながりコスモロジー」です。こうした日本人のガマンは、人さまを利する、宇宙のよろこぶ心です。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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