年長者をうやまえ、は自分のため

今朝、いつもの電車をまつホームで、ぼんやり考えごとをしていました。

〈 オレも人並みに年を取る、そのとき自分のこれまでの他者に対する態度がオレ自身に返ってくるっていうことか。

それじゃあ、今までときどきだけど、駅やスーパーでお年寄りの手助けをしたことは、正しいだけじゃなくて、オレ自身にとって、利益になることだったって訳か。

今のお年寄りに対する態度が、数十年後の「年寄りになったオレ」にそっくり返ってくる訳だから 〉

そして、いつもの電車に乗り込む直前、突如、気づきがありました。

〈 昔から日本人が「お年寄りを敬え」「先輩を敬え」と言ってきたのは、「勉強になることが多いから」「それが正しいから」だけじゃなくて、実は、そうしておけば自分が年をとったとき、自分が敬われ、大事にされる側になれるからではないのか。

つまり、「情けは人のためならず」と同じことで、年長者への尊敬が、結局は自分への尊敬となって、年をとった自分にかえってくるってことか 〉

そして、いつもの職場に入って、食器洗浄機の横で皿を拭きながら朝のこの氣づきのことをぼんやり思い出していたら、また気づきました。

〈「ご先祖さま」への尊敬にも、実はこれと同じ理由があるんじゃないか。

つまり、自らが死んで「ご先祖さま」になったとき、成仏してくれ、安らかに落ちついてくれという、現世の人たちからの思いを受け取る側になれるんだから 〉

このほかにもたくさんあることだけど、日本社会に昔から礼儀や習慣として根づいてきたことには、理にかなっていることが少なくないようです。日本人は大昔から、精神世界からみて本当に大切なことを、たくさん実践し、発信してきているようです。

 先輩・後輩の関係もそうですね。先輩を敬うことで、自分が先輩になったとき、後輩から敬われるのです。これこそ本当の「平等」ですね。ある外国人が日本のテレビ番組で「私の国では先輩後輩なんて、重視しない。平等だから」といってましたが、それは深く見れば、違うと思います。

こうした日本文化の本当におトクな面を、現代の日本人こそ改めて見直すのがよろしいと思います。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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