心の「仕切り」に、神がたちあがる       

 いつもお念仏をするのは、キッチンの8畳間です。フローリングの床に敷いたカーペットに正座して西を向いておこないます。いつも気持ちよくできます。

すこしくわしく書くと、カーペットの上には1メートル四方のタタミを一枚、うらがえしにおいて、その上に座椅子で正座します。正面の白い壁の下においたテレビ台に、ろうそく、線香をたてて、火をつけます。正座した両ひざの間にリンを用意して、必要なときにリン棒でチ~ンと鳴らします。

 さて、このお念仏部屋は、見えないカベでキッチンのほかの部分から仕切られています。「仕切り」があることでお念仏に集中でき、日に日にその「場」が浄化されていきます。その仕切りは、私が心のなかで作っているもので、人には見えません。

 台所の洗い場、冷蔵庫、コンロ台などは「仕切り」の外です。だから仕切りを破るかたちでは、私は決して移動しません。お念仏の途中に洗い場のほうにいくときは、かならず「仕切り」を迂回します。つまり、お念仏しているときの背中のほうへいったん下がって「仕切り」をでてから、回りこみます。

 誰に教わった訳でもなく、自分がこうすると気持ちが落ち着くので、自然とこうやり始めました。何日もこうして続ける中で、自然と気づきがありました。

 つまり、心のなかで「仕切り」をたてることで、そこを特別な「場」にして、そこを浄化する、お念仏によりよい環境とする、というのは、日本人が昔から様々な場面でやってきたことだろう、と。

数々のしきたり、礼儀作法は、このようにして生まれてきたのだろう、と。

大げさですが、いま自分は、それを自分でつくって育てる体験をしているんだろう、と。

 茶道、華道、剣道の礼儀作法など、日本古来の芸事や武道にたくさんあるこのような決まりごと(上座下座とか、どこで正座し、どこで礼をするとか、どこは通ってはならないとか)は、自分個人のなかに全宇宙という本当の自分があって、その中で自分個人という「ヒフの内側」が生かされていることを、日本人が心の底でよく理解していたからこそ、日本で生まれた独自の文化なのだ、と思うようになりました。

 この自分をよりよく成長させるためには、その内在する本当の自分たる全宇宙を心のなかに立ち上げることがもっとも近道で、もっとも有効だと知っている日本人。だからこその「しきたり」なのだと思います。その「しきたり」によって自分内部の本当の力が発動して、自分の成長があるのではないでしょうか。

 狭い意味でいえば、たとえばイチローや五郎丸の「ルーティン」も同じです。ある儀式によって、「オレの宇宙」の力を自分の身に顕現させる行いなのです。

 日本古来の文化は、宇宙の本質を見抜いているように感じます。「道」にそった、人間を本当に生かす文化です。すばらしいですね。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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