日本語は平和をつくる、英語は戦争をつくる   

 世界の歴史をふりかえると、これまで地球規模で隆盛した言語(世界言語)は、すべて西洋系です。スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、そして現在は英語、フランス語。すべて白人系ですね。

 共通するのは、攻撃的という点です。人とぶつかることを極力避けようという言語ではなく、むしろ、ぶつからずにいられない言語のようです。

 英語を例にとると、人になにかをして欲しいとき、まっ先に動詞を伝えます。ドアを閉めてほしいなら「Close  the  door」ですね。「Please」をつける、つけないはこの際、問題ではないでしょう。
    
 肝心なことは、そのお願いを「される側」の動作を、「する側」が指示する点です。動作の主体である「される側」の動作そのものを、あからさまに指示する。これは少なくとも、その人の主体性を尊重するやり方ではありません。

 いってみれば、その人の宇宙を認めないやり方です。

 この点、日本語はまったく異質ですーー「ドアを閉めて(ください)」。まっ先に相手に伝えるのは「ドア」であり、「閉めて」という動詞を伝えるのは一番最後です。
  
 これはお願いを「される側」の主体性を尊重するやり方です。それは、相手にとっての「オレの宇宙」があることを認め、尊重するやり方です。日本人と日本語は、人さまの宇宙を尊重することで、自分自身の宇宙を尊重するのです。

 いってみれば、最初に伝える「ドアを」は相手への「ほのめかし」なのです。相手は「ドアをどうしてほしいんだ?」と瞬間的に考え、周囲の状況を読みます。「ああ、閉めてほしいんだな」と判断し、それから主体的に(!)「閉める」という動作をおこなう。

 順番はあくまでもそういう順番であって、頭から露骨に動作そのものを指示する英語とはまったく「宇宙が違う」。

日本語は、人間個人が自分の「我(が)」をおさえて相手の宇宙を尊重する言語です。英語は、自分の「我」を優先して、押しとおす言語です。

 ですから、英語をはじめとする上記の西洋言語(はっきりいえば白人の言語)は戦争をつくります。逆に、日本語は平和をつくります。相手との「和」を優先するからです。

 これまでの人類の歴史に戦争が絶えなかったことと、歴代の世界言語がすべて西洋系であったこととは無関係でないと、私は考えます。

 その意味で、もしも日本語が世界共通語となる日がくれば、世界に戦争がなくなる可能性は従来より高まると思います。経済の問題よりも、根っこはあくまでも人間の「宇宙観」なのです。

 地球の歴史で、日本語のような「平和をつくる言語」が世界の共通語となったことは、一度もありません。もし実現すれば、少なくとも英語に席巻されてきた従来よりは平安な世界になりそうです。宇宙の本当によろこぶ方向へ、つまりは「道」にそって、人類を導ける言語、それに最も近いのが、日本語だと考えます。


 だからこそ、たった70年前まで日本がアジアでやった戦争はなんだったのか、きちんと認識を持ちたいと思います。日本民族と日本文化にとって、大事なことです。


 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました