殺すのでなく、昇天させる

レイキをとおして知りあう人のなかで、興味深い話を聞かせてくれた人のことは、印象にのこっています。初めてアチューンメントをうけたスクールのセカンドの受講生仲間に、そういう方がおられました。

午前の授業のあとの昼休みに、近くの料理屋でカウンター席にすわっていたら、30代なかばくらいのその男性がぐうぜん、隣に座ってきました。お互いにわかったので軽く挨拶したあと、ならんで食事したんですが、次のような勉強になる話を聞かせてくれましたーー

眠っているときに見る夢を大切にあつかうといい。自分を助けてくれようとしている大いなる存在が、夢をつうじてさまざまなことを教えてくれるから。夢は人生で重要だ。

自分の体験からいえば、最近はよく困った人が登場する。こうした人は必ず助けてあげることにしている(彼は「明晰夢(自分で内容の展開を操作できる夢)」が見れる)。以前には魔物や怪物などの悪者がよくでてきた。これは殺したりつぶしたりせずに、「成仏せよ」と説いて術を施して昇天させてやる。こうすれば二度と悪さはしない。もし殺すだけなら、いつかまたよみがえって悪事をくり返すことになるーー。

〈 魔物も実は、自分自身が創りだしたもの 〉

このほかにも、家族で夢分析をする話もしてくれました。私はすでにレイキの実践をはじめていたからこそ、興味をひかれたのだと思います。それ以前の私なら、「ヤバイ人と同席しちゃったなあ」と、楽しくない時間になっただけかもしれません。

このお話を思い出して私が「おもしろい」と感じるのは、殺さずに昇天させる、という点です。自分の人生から「切除」するのでなしに、「術を施して」、つまりはエネルギーを与えて、より高次の世界へ送ってあげる。日本的な発想ですね。

これは人生でめぐりあう「良くないもの」も、元はといえば自分自身から出たものだという見方に立っているのではないでしょうか。いわゆる「宇宙一元論」です。つまり宇宙はひとつながりで、この宇宙のありようを創っているのは自分自身だ、という認識です。

根本原因は自分自身なので、「魔物」だけを切っても切っても、また現れるだけ。だから、切って目を背けるのではなく、その「魔物」にエネルギーをあたえて高次のものにかえてやる。それが根本解決になる、という見方ですね。

「魔物」とは宇宙が人間にくれた「お知らせ」です。くれた理由は、人間が自分の欠点に意識をむけて改善する(エネルギーを与える)ことを期待しているからです。ですから、殺してオシマイ、また次の厄介者が現れる、のくり返しでなく、人間が根本解決することで、宇宙ははじめて喜んでくれると解釈できると思います。

また「教えさとす」過程も、自分自身の精神性向上につながって、内なる欠点を含んで超えることになっていますね。

外国の「二元論」であれば、厄介者(魔物や病気)と自分の欠点はなんの因果関係もなく、バラバラでべつべつの存在だ、だから殺して「切除」すれば解決できる、という見方になるところです。日本古来の宇宙の見方は、これとはまったく反対です。そして日本の宇宙観は、現代科学の結論「宇宙はひとつながり」に合致しています。

 〈 ケガレにも気を充填すれば、もとの素晴らしい状態に戻る 〉

この解決法には、神道の「はらう(祓う)」という発想もにじんでいますね。殺すのではなく「はらう」。つまり自分自身もふくめてすべての存在はもともとありのままで素晴らしいのだが、「気」(エネルギー)が足りなくなって「ケガレ」(気枯れ)るからオカシクなるのであって、「気」を充填してやれば「ケガレ」を「はらう」ことができて、もとの素晴らしい状態に戻れるのだという考え方ですね。

日本人のこのような発想はたとえば、日本という国の歴史にも現れます。国家が危機におちいった時代に、日本が選んできたのはつねに「復古」だったといいます。もとに戻るという解決法ですね。もともと日本は素晴らしい国なのだ、という自信があるからこそできる選択ですね。幕末の混乱期に採用されたのがまさに、王政「復古」でした。

そしてレイキの観点からすれば、魔物(ケガや病気)に教えさとす(レイキというエネルギーを充填する)ことで昇天させる(症状をなくす)とは、まさにレイキの施術です。いまいった神道の「気を充填して『はらう』」と同じことですね。もともと日本古来の医療はこの考え方であり、症状そのものをクスリで化学的に、あるいは手術で物理的に、除去する(殺す)という発想はなかったようです。

夢を分析して生活に活かすこともふくめて、気づきのもとになった夢のお話でした。レイキを学びはじめた、あのタイミングで、私の人生に現れてくれた「夢の話」に、感謝します。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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