生徒の宇宙を、自分で掃除させる日本の学校      

 日本の小学校、中学校、高校では、生徒が自分たちで教室を掃除するのが、当たり前です。私が生徒のときも、それがふつうでした。ところが諸外国では、そうでないらしい。「学校が生徒に掃除させるなんて、とんでもない」「学校は勉強するところ。掃除するところじゃない」という外国人の親の意見をテレビ番組でみたことがあります。なかには憤慨している人さえいます。

私にとって、「生徒が掃除」は当たり前です。これは、宇宙観の違いだと解釈しています。一元論の日本と、二元論の外国との違いです。今日はこの「掃除」について、書きます。

 日本の学校では、掃除は教育の一環です。「掃除はこころをみがくこと」という見方が、日本ではいわば社会的合意になっています。これには、日常のどんな雑事も修行になるという禅の「作務」の考え方も影響しているでしょう。


 しかし、より本質的には、「自分の過ごす空間を自分で浄化することが、自分の宇宙の浄化につながる」という観点に立っていると思います。つまり、人間一人一人にそれぞれ「オレの宇宙」が与えられている、という宇宙観が民族の心の底にあるからこその「掃除観」だと思います。

私が経験する宇宙は、私自身が創っている。私こそがこの宇宙の主人だ、という宇宙観です。お釈迦さまの言葉とつたえられる「天上天下唯我独尊」にしたって、「この世で一番尊いのは、『私』という主人である」という意味でしょう。この解釈は、私にはすなおにできました。

 なによりも、自分がやる。それが一番大事なポイントです。なぜなら自分こそ、「オレの宇宙」の主人だからです。だから私の高校時代、剣道部では毎日、1年生が稽古前に道場を掃除しました。手に雑巾をとって床にあてがい、四つん這いの格好で、広い道場のすみずみまでタッタッタッと走って拭き掃除です。これから自分が心の修行をする「場」を、自分で清めるのは、当たり前のことです。素振りやメン打ちだけでなく、掃除も含めてすべてが剣道の修練なのです。

1年坊主にやらせるのも、「まずはお前の宇宙の浄化が先決だよ」と、剣道を始めたばかりの人間に教えてくれているのです。効率のもっとも高い段取りを体で教える、本来とてもありがたい仕組みなのです。この基本的な理解がないと、「イヤな仕事だから、立場の一番弱い1年生に押しつけている」と、真逆の誤解になります。自分と宇宙が関係性をもたないという「ばらばらコスモロジー」のまちがった解釈です。

日本文化はそれとは違い、宇宙は自分で創っているので、「オレの宇宙」を基本に考えます。本当に人間にやさしく、宇宙のよろこぶのがどちらの感性なのか、答えは自明でしょう。

 私自身、高校生だった当時は当然のこととして毎日疑問もなくやっていましたが、いまふり返ってみると新鮮です。日本古来の文化というのは、宇宙の摂理にあっているのだな、と感心します。剣「道」なのだから、当たり前なのですね。剣「道」をはじめた人間が、自分で自分の宇宙を清めるという当然の話です。だから「道場」と呼ぶのです。「当たり前」づくしです。

 掃除とは、日本ではこういうものです。だから日本では、掃除で人生がよい方へ変わった、という話がよくあります。暴力のはびこる荒れた中学校が、生徒に便所掃除をやらせたら、暴力のない学校に生まれ変わったとか、有名芸能人が下積み時代にトイレ掃除だけはよくやったとか。

 そもそも昔の日本の会社では、新入社員が朝、早出して先輩や上司の机を拭き、部屋の掃除をするのが「美徳」とされる風潮もありました。これなども、これから仕事をおぼえていく新米が、自分の成長の「場」を自分で清めて一日をはじめる、という意味が本質的にはあったのだと思います。

もしかしたら江戸時代までは、こんなことは説明するまでもなく、ふつうの日本人には少なくとも心の底で理解されていたことではないかと、私は思います。明治維新から急激にはじまった「ばらばらコスモロジー」の侵略で、日本人の感性がいま、「オレの宇宙」を認めない解釈に毒されている、ということでしょう。

こうした日本の掃除観と反対に、多くの外国では「掃除は業者がやる」ということになります。掃除に「オレの宇宙」観など反映されようもなく、「自分で自分の宇宙をみがく」教育の一環などではありえない。

いま書いた日本企業の「美徳」と反対の例を、海外の日本企業で私自身みています。自分の机まわりのゴミは自分で拾うように、と会社から指導しているということでしたが、現地の従業員はなかなかやろうとしない。「そうじ業者の仕事を取りあげることになるから」と、用意されたような言い訳が多いそうです。

 ただ、日本にならって学校で生徒に掃除させようという動きが最近、アラブの国で始まってたと聞きます。国は違っても、彼らも「オレの宇宙」を一人一人与えられている同じ人間です。必ず、掃除が個人の心の浄化につながり、学校でも会社でも地域社会でも、その集団によい効果をもたらすことが社会的に認知されていくと思います。

最後に、日本人はもともと、宇宙のよろこぶ「道」にそった宇宙観をもった民族なのです。感性がこの点では比較的に進歩していて、それをあまりにも当たり前としてきて、外に対してきちんと正当な説明を自信もっておこなう「技術」を二の次にしてきました。すると、自己主張の強い外国文化から「学生に掃除させるなんてもってのほかだ!」「立場の弱い1年生に掃除を押しつけてヒドイ!」と非難されたとき、自分でもわからなくなる。そういうことが、明治維新後のながいこと、とくに敗戦後の年十年も、続いてきたのが日本文化の悲劇です。

 さて、世界じゅうの学校で、子供たちが自分の教室を掃除することでよい方へかわったと、実利が認識されたら、世界のものの考え方が「つながりコスモロジー」のほうへより近づいてくるのかもしれませんね。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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