肝心なのは、レイキよりも「日々のくらし」

 これまでお念仏やレイキをやってきたなかで、何かをしながらの「ながら念仏」「ながらレイキ」が一番すごい、と思うようになりました。それは、「人間にとって一番大事なのは『日常』だ」と気づいたからです。本当に肝心なのは、念仏そのものではなく、レイキそのものではなく、それらに親しみながらおくる「日々のくらし」なのです。

 人間は日常生活から、絶対に逃れられません。二十歳のころに聴いた「生活という うすのろが いなければ」という佐野元春さんの歌のことばが印象深く心の底に残っています。その日常をどう処すかは、誰にとっても最重要な課題の一つです(日々のくらしのなかにこそ、本来、宝があふれているからです。それは、宇宙からの「お知らせ」がふだんの生活にこそ、あふれているからです)。

 念仏もレイキも、いってみれば暮らしの方便です。大切なのはその方便ではなく、暮らし自体です。

 だから、心の修練のために特別に時間をとるのもいいですが、それ以上に、時間をきめないで生活をしっかり送り「ながら」修練することの方が、もっと大事だと考えます。主体は暮らしであり、修練ではない、ということになるのでしょうね。

 そう考えて各種の修練とのつきあい方を見直すと、新しい暮らしかたが見えてくるかもしれません。

 神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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