鬼は「滅ぼす」ものでなく、「はらう」もの      

 日本ではもともと、鬼は滅ぼすものではなく、はらう(祓う=清める)ものだそうです。節分のとき「鬼は外」と追い出すだけで、その場で滅ぼそうとはしませんね。次の年に鬼はまたやってきます。それをまたはらう、を毎年くりかえします。

 これは、鬼が人間のこころのなかから生まれるものだと、昔の日本人が考えていたからだろうと思います。鬼とは、心の闇です。人の心から湧きつづける闇を「滅ぼす」ことはできない。むしろそれにエネルギーを与えることで昇華させてやろう、それが本当の解決になる。その方法が「はらう」なのだと思います。


 こう考えるようになったのも、以前にある手技療法の会で、これに関わるような体験学習をしたからです。

まず心の全部をおおう闇を想定し、そのなかに一点の光を灯します。その光が闇をどんどん照らしてなくしていって、しまいに心のすみずみまで全部を照らしきる寸前で、今度は光のなかに闇が一点さします。その闇がどんどん光をのみこんで大きくなって全部をおおう寸前で、また一点の光を灯し…とくり返します。

つまり光が闇を「滅ぼす」ことはありません。同様に、闇が光を埋め尽くすこともありません。こころのなかで、それを反復イメージするのです。

 一方、欧米では、鬼は「滅ぼす」もののようです。自分の心のありようとは無関係に、通り魔のように鬼は現れるものと考える。ほかならぬ自分の心から生まれ出たものとして鬼をとらえない「ばらばらコスモロジー」なので、完全に殺してしまうことができると考えます。

しかし人類の歴史、世間のありよう、自分自身の人生をふりかえれば、鬼は滅ぼしてもまた湧いてくるのがむしろ自然のように見えます。


 だから日本人は古来、鬼と同居してきました。たとえば山にこもって修行する山伏は、頭に黒い小箱をかぶっていますね。あれは角をかくすためで、山伏は鬼と人間のあいだの存在なのだそうです。そういう山伏が、それでも魂を高めて人間になるため修練を積みますよ、という決意表明ゆえの姿なのでしょうか。

 最近では日本にも、鬼を「滅ぼす」考え方が出てきたように聞きます。これは日本人の感受性に、「ばらばらコスモロジー」が侵入している表れではないでしょうか。

神さま、仏さま、今日の気づきを、ありがとうございます。

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